赤木愛太郎 先生のこと

皆さんは、玄関脇にある赤木初代校長の胸像について、目にはしていても、その人物について良く知る人は少ないでしょう。

私は赤木愛太郎と申します。この名の示すように、一つには赤き心即ち誠の心を以て本校の経営に専心し、 また愛の精神によって子弟の教育に努力する決心です。」

これは、赤木校長の就任歓迎会での先生のご挨拶です。そのとき先生は48歳。新潟県長岡女子師範学校校長として既に名を遂げられていましたが、 神奈川県の強い要請によって県立湘南中学校の初代校長として、藤沢の地に赴任してこられました。

そして、戦後湘南高等学校に変わる直前まで、27年間の長きに亙って校長の職にあり、本校の草創期から発展期に至る道筋を確立されました。

しかし、その間の日本は激動の時期でした。創立直後、本校は関東大震災に見舞われ、大きな痛手を負います。 その後の日本は、戦争への道をひたすら歩みます。湘南中学校もそうした国家の動きから自由であることは許されませんでした。

そうした辛苦の中でも、赤木校長の下で、職員・生徒・保護者・同窓生が一丸となって「日本一」の学校作りに励んでいた様子を多く見ることができます。

戦後、先生は教職追放という形で職を辞されましたが、その後先生の傘寿を機に、湘友会が中心になって建てたものがこの胸像です。 その碑文の最後には

・・その徳を慕い恩愛を謝する我等茲に相寄りこの像を建つ

と結ばれています。


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