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2017.08.30

ニューヨーク湘友会2017年夏のBBQ親睦会

2017年8月12日、毎年恒例のNY湘友会夏のBBQ懇親会がNY湘友会代表の尾島巌先生 (39回生) のご自宅で開催されました。

今回はNY湘友会メンバーとそのご家族を合わせて総勢16名が参加(最年長は39回生、最年少は80回生)。

普段は騒々しいマンハッタンで生活している筆者にとって、毎年行われる夏の懇親会は、マンハッタンの喧騒から離れ、豊かな自然の中で時間を過ごし、幅広い世代の方々と交流を深められるとても貴重な機会。僭越ながら、偉人の言葉を借りてこの気持ちを表すならば、
   ”涼しさを 我宿にして ねまるなり”
でしょうか。そのようなことを考えながら、一人感慨にふけっている間に参加者が揃い懇親会スタート。

例年以上の種類の豪華アペタイザーに始まり、毎年尾島先生が腕をふるうサーフ&ターフ (ロブスターとサーロインステーキ) というメインディッシュ、そして締めの豪華デザートがサーブされました。

参加者各自思い思いに食事を頬張りながら和やかに談笑し、お腹が落ち着いた頃を見計らって各自からの近況報告。色々なフィールドでご活躍されているNY湘友会メンバーの方々の近況を伺いながら、今回もたくさんの刺激をいただきました (食事以外でもお腹いっぱいでした)。

余談ですが、今年は急遽参加できなくなったメンバーがいたため、ステーキのお代わりができることになり、ありがたく頂いた筆者。駐在生活 6年目になり、駐在当初に比べて胃袋がかなり成長したなと実感した一日でした。

毎年の定例行事となっている夏のBBQと新年会を通じて結束が強くなっているNY湘友会。この素晴らしい交流が途切れることなく続き、NY湘友会が益々発展するよう今後も活動を続けていければと考えています。

NY湘友会は”去る者は追わず 来る者は拒まず”のスタンスで皆さんのお越しを心よりお待ちしております。ご赴任、ご出張またはご旅行等でニューヨークにお越しになるご予定の方がおりましたらご遠慮なくご連絡ください。

田原義浩 (77回生)

2017.08.29

鎌倉・逗葉支部 2017年”秋の集い”のご案内

湘友会鎌倉・逗葉支部会員 各位

湘友会鎌倉・逗葉支部 支部長 鈴木 宗夫 (32回生)

『趣向を変えた秋の集い 開催のご案内』

一昨年は久々の総会を鎌倉パークホテルで、昨年は鎌倉・逗葉支部と改称し「葉山名店食べ尽くし」と銘打った手作り感溢れる葉山福祉文化会館での秋の集いを開催しました。

今年は、役員と幹事で知恵を絞り、講演会と懇親会の開催場所を分け、講演会は会員以外の方々にも参加を広げ、地域に即したテーマを取り上げました。ご家族やご友人をお誘いの上ご参加頂くようお願い申し上げます。

本会の目的である会員相互の親睦はもとより、少し広がりのある場となるような新たな試みとして、下記の通り秋の集いを開催することに致しましたので、ご案内申し上げます。

1.日程 平成29年11月18日(土)

2.会場・スケジュール

 1) 第一部 講演会 於 鎌倉生涯学習センターホール
   10:30~12:00 (受付開始 10:00)
 2) 第二部 懇親会 於 銀座アスター(鎌倉駅西口)
   12:30~14:30

3. 会費 5,000円 (会員以外で講演会のみの方は無料)

4. 内容

 1) 第一部 講演会 題目「湘南地方を襲う地震と津波」 (*1)
   講演者 加藤 照之氏 (46回生) (*2)
 2) 第二部 懇親会
  ① 支部長挨拶
  ② 来賓ご挨拶
  ③ 懇談
  ④ エールと校歌斉唱

❋出欠の連絡

会場準備の都合上、出席される方は9月30日までに下記までご連絡下さい。

連絡先 八星 暁 (48回生)   s-hatibosi✿kamakura✿jcom.home.ne.jp
(✿kamakura✿を@に変更)

以上
.
【講演会の概要】
(*1) 講演内容
関東地方において最も重要な1923年の関東大震災を中心に、南海トラフ沿いでの地震、 首都圏直下地震の特徴と湘南地方への影響を紹介する。

また、予知と予測との違いや予知の難しに触れ、過去に発生した地震に対する知見や教訓を通じて、湘南の地を襲う地震や津波からの被害を軽減するためには我々はどうしたら良いのかを、皆さんとともに考える。

(*2) 講師 加藤 照之氏 (46回生)
高校在学時はバレーボール部に所属。現在は東京大学地震研究所 地球計測系研究部門 主任教授として 測地学・地殻変動論が専門に活躍。
2012~2015年 日本地震学会理事(会長)を歴任

2017.08.26

湘南高校体操部同窓会解散のお知らせを郵送しました

お知らせ (PDFファイル)

湘南高校体操部同窓会会員の皆様へ

湘南高校体操部同窓会解散のお知らせ

連日蒸し暑い日が続いていますが、湘南高校体操部同窓会(以下OB会と略す)会員の皆様には如何お過ごしでしょうか。お陰様で現在OB会の名簿登載者数は約400名で、物故者と住所不明者を除き約300名の会員と連絡可能な状況です。毎年行われている現役部員の夏合宿の際、役員を中心に数名のOBが訪問し激励すると共に合宿補助金を届けて参りました。現在OB会の役員はS32年卒、S36年卒、S40年卒、H10年卒、H12年卒、H15年卒の各1名で構成していますが、ここ数年会長の健康上の問題もあり、総会・役員会・懇親会の定期的な開催が継続困難となりましたので、過去の総会でも役員改選を議題とし、最近では平成29年4月27日に年齢的に役員に最適と思われる55歳~65歳までの会員(S45年卒~S56年卒)33名に対し役員候補者の推薦を文書で依頼しましたが力及ばずいずれも残念ながら不調に終わりました。

本会の目的は会則第3条の通り「会員相互の親睦を図ると共に体操部の発展に寄与する」事ですが、最高齢の会員と高卒直後の新会員との年齢差が65歳を超えており、総会・懇親会出席者(25名程度)のほとんどは後期高齢者である事から、全会員を対象にこれを実施するのは極めて実現困難な状況です。総会・懇親会の出席者が全体の一割弱であるにも拘わらず、会場の手配や開催案内の郵送等役員の負担は大きく、その労力を買って出て頂ける方もない状況を踏まえ、昨年来数回にわたり役員会で協議を重ねてきました。若年層の会員の中には「単一学年のOB会」や「複数学年のOB会」が幾つかあり、ある程度親睦は図られているとの話もあります。現役の部活動の経済状況もそれ程逼迫しておらず、もはや全会員を対象としたOB会の必要性は薄れたと判断されるので、平成29年7月2日開催の役員会でOB会を解散する事に決定しました。尚、この役員会では本年度最後の総会を開催し了承を得た後文書でお知らせする案も出ましたが、経費と作業の負担を軽減するため、文書のみにてお知らせする方法を取る事と決定しました。

途切れ途切れながらも長い間続けてきたOB会の解散には一抹の寂しさを感じますが、何卒ご理解を頂けます様お願い致します。今迄OB会の運営にご支援ご協力を頂きました会員の皆様には役員一同心よりお礼申し上げます。今後は「単一学年のOB会」や「複数学年のOB会」などを積極的に新設して頂き、それぞれの会で「会員相互の親睦を図ると共に体操部の発展に寄与する」事を期待しています。OB会の残務処理については役員会で検討のうえ学校側とも調整しながら下記の通り行います。

⒈ OB会の会費処理について
会費の残高は240,139円です。(平成29年8月1日現在)
(1) 解散のお知らせ郵送など解散に関して必要な経費約35,000円を支出します。
(2) 部員が必要な器具又は補助用具を200,000円以内で購入し寄付します。現物をご確認ください。
(3) (1)と(2)の支払い後の残金はすべて部活振興費として寄付します。

⒉ OB会の名簿処理について
名簿のデータはUSBフラッシュメモリなどに保存されています。
(1) 解散後は名簿保管者を定め管理します。
(2) 名簿の一部を必要とするOBは顧問の先生に名簿保管者をご照会ください。
(3) 名簿保管者は現行の「湘南高校体操部同窓会名簿取り扱い規約」に準じ対応します。

⒊ OB会の解散日付について
解散の日付は平成29年9月30日と致しますので、ご異議等ある方は、誠にお手数おかけし恐縮ですが、前日までに新役員(会長・副会長・庶務・会計などすべての役員)の候補者名を必ず記載のうえ、会長の太田宛文書にてお申し出ください。

平成29年8月17日     
湘南高校体操部同窓会 
会長 太田 昇 :役員一同

2017.08.20

第56回湘友会セミナー報告

・日 時: 平成29年8月12日 (土) 13時半~15時
・場 所: 湘南高校 多目的ホール
・テーマ: Jリーグ設立とは何だったのか?
~銀行勤務から(後先考えず)Jリーグに転職してしまった男が体験したカオス~
・講 師: 篠塚 毅氏 (54回生、サッカー部OB、株式会社エス・ティ・エンタープライズ代表取締役)
・協 力: サッカー部OB会

【講師プロフィール】
54回生 篠塚 毅 (シノヅカ ツヨシ) 1960年生まれ、サッカー部主将
(県新人戦3位、インターハイ県予選3位、全国高校選手権県予選準決勝敗退)
1984年 三和銀行 (現三菱東京UFJ銀行) 入行
(国内2支店を経て、米国・ニューヨーク勤務)
1992年 社団法人 (現公益社団法人) 日本プロサッカーリーグ (Jリーグ) 入社
(初代事業部長として放送権、協賛権、商品化権の企画・販売を担当)
1996年 株式会社エス・ティ・エンタープライズ 代表取締役
(Jリーグクラブ=VF甲府・S鳥栖・大宮A=の経営アドバイザー、2002日韓W杯キャンプ誘致活動、ラグビートップリーグ設立、バスケットJBL設立等に従事)

【内容要旨】
Jリーグ事務局に在籍したのは、4年2ケ月であった。1992年2月、31歳の時、Jリーグの開幕の1年2ケ月前事務局に転職した。銀行では海外勤務のエリート社員だったが、サッカーに貢献するチャンスはJリーグ立ち上げの今だと決意した。

ところが、プライドを持って行った先は、わずか4人の事務局員の小さな所帯。日本リーグ終了時には数名が合流するとはいえ、これでプロスポーツが運営できるかと心配になった。しかも職員は、サッカー選手上がりばかり。サッカー選手としての評価が最初にありきで大きくカルチャーが異なった。仕事は議事録づくりなどが大半で、夢見た内容とは違い、最初の挫折に直面する。

仕事を継続するうちにいくつか、今までの自分になかったものに気づかされる。選手たちの目的意識は、未来のサッカーを自分が背負うという高いレベルであった。三浦知良選手は常に「子供たちの夢をかなえる」と発言し、お金のためだけにやっているわけではなかった。

この組織では銀行と異なる仕事のやり方が求められた。「失敗はするもので、失敗してどうするかが面白い」といったやり方で、仕事を進める同僚がいた。ベンチャービジネスの経験者で、新規ビジネスを立ち上げるためには、自身の判断で物事を進める方法論を持ち、どんどん仕事を進めていった。また、当時から川渕三郎氏のワンマン経営で、朝令暮改的な事例が頻発していたことは外部でも知られていたが、こうした事にも、柔軟に対応しフォローするやり方を学んだ。

Jリーグの構想は、開始の数年前から温められており、表舞台にはでてきていないが、長沼健日本サッカー協会会長(当時)らが積み重ねてきたものを、小倉純二氏(現最高顧問)らが黒子に徹しながら進めていた。最後に、川渕三郎氏が表に立ってJリーグの発足当時は成功に導いた。その構想は、プロリーグの創設、W杯を誘致しスタジアム建設を促進する、totoを開始し建設資金をバックアップするという3つの要素からなるものであった。

Jリーグの開幕時点で、事業部長となった。そして、Jリーグ開幕2年目に最大級の危機がスタジアムの問題として現れた。日本リーグ時代の芝グランドは雨が降ると使い物にならなかった。これを改善するため、Jリーグ規約に「芝は常緑芝」と入れた。これに従って、三ツ沢球技場では、1994年に水はけを含めた全面的な芝の張替えを行った。8月初旬からグランドを使用開始したが、芝が根付かなかったため、芝生が跳ね上がる状況となり、使用不能となった。急遽、福岡ドームのパレット式天然芝を購入し敷き詰めて根付かせるという工事を行い、応急措置とし間に合わせた。他競技場の使用などは不可能な状況下で、芝の確保ができ、広島アジア大会で1ケ月の工期が確保できたことなので、困難を乗り切った。

1996年3月、開幕後3年経過し、スポンサーの更新契約などもうまく運び、一段落したところで、退職を決意した。退職後に、数々のことに気づくこととなった。本当のパートナーは、メディア、スポンサーをはじめ、現場で苦楽をともにした人々の存在であり、その後の仕事でも信頼がある中で協力関係が継続している。失敗から学び、立ち向かう姿勢は大切で、逃げないスタンスが先々の信頼につながる。外からみて初めて自分の姿を知ることができた。

プロとは何かを改めて考えるようになり、プロとは「基準の置き方」であるという結論に達した。プロ選手は、ファン、メディア、スポンサーが持つ基準をクリアすることが必要である。70年代~80年代のプロスポーツ、例えば、ゴルフのマスターズ・トーナメント、アメリカン・フットボールのニューヨーク・ジャイアンツは、シーズンチケットと放映権料でスポーツ事業を成立させていた。当時の写真で、広告看板がないことに改めて驚く。ファンとメディアという2大要素が、プロ化の基本である。これにスポンサーをどう加えるかを考える。

Jリーグは25年になるが、2006年のドイツ・ワールドカップで期待されながら惨敗したことで、停滞期に入ってしまった。今年からDAZNが参入したことで、50~60億だった放映権料が200億に増加。チームへの分配金が大きく増えるので、海外選手をとることができ、状況が変わる可能性がでてきた。

 <文責: 48回生 関 佳史>

 

2017.08.19

第55回湘友会セミナー報告

・日 時: 2017年 7月29日 (土) 14時~16時
・場 所: 湘南高校 歴史館スタジオ
・テーマ: 「徒然草」で楽に生きる
・講 師: 山田 (森重) 喜美子(全45回生)

<内容要旨>
40人もの方々にご来場いただいたことに、まずは御礼申し上げます。
「徒然草」とその作者兼好法師について、以下の5つのテーマに沿ってお話をいたしました。

1) 「徒然草」の著者である兼好は、どんな人物であったか

生没年ともに未詳で、1183年頃?~1252年8月まで生存確認できるというのが、現在知られているところです。当時の貴族階級の下層に属し、鎌倉(及び現在の横浜市金沢八景)に京都から2、3回来て、数ヶ月から1年近く滞在し、鎌倉武士とも交流がありました。30歳前後で出家し、歌僧として京都宮廷の上層部とも面識があり、また南北朝期には足利尊氏とその側近高師直ともつながりを持っていました。
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2) 人気が出たのは江戸時代

「徒然草」は写本で伝えられ、一部の歌人や連歌師に読まれていたようですが、江戸時代になって出版ビジネスが成立して、1613年に印刷・出版され、一般に広まりました。この頃は他にも「源氏物語」「枕草子」「伊勢物語」等々、古典文学が続々と出版され、大衆にも広がる機運があり、「徒然草」も当時の文人たちが注釈書を次々と出したことで一般人に読みやすくなりました。
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3) 「徒然草」の主なテーマ

兼好は多岐にわたって、さまざまな事柄や話題を採り上げていますが、大ざっぱにまとめると、人・欲・死という3つのテーマになろうかと思います。「人」というのは、社会で生きていくうえでの人付合い、世間への対処法ということで、兼好は「勝とうとするな、負けないようにしろ」と言い、世間に対しては「口数を少なくしろ、余計なことをしゃべり散らすのは賤しい」と言い、世間の噂はほとんどが嘘だから、慎重に対処しろと言います。

また、「欲」について、生きていくうえで必要なのは、餓えず凍えず雨露をしのぐこととし、しかし人は病気をするものだから、衣食住に薬があれば、それで充分だと言っています。この4つの物以上を望むのは贅沢である、と。

最後に、兼好が最も力を入れて書いているのは「死」についてです。人は必ず死ぬものですが、いつ死ぬかは予知できません。彼は、「死は向こうからやってくるのではなく、いつのまにか背後に迫って、いきなり後ろ首をつかむ」と言っています。そして、「この世は予め決まったことはない。この世はあてにならないと思っていればまちがいない」という結論に至ります。
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4) 「徒然草」の文章の特徴

江戸時代から今日まで一般に親しまれたのは、その文章の歯切れの良さにも起因しています。また、章段の始まりに、まず結論や問題提起が短文で掲げられることも多いので、つまりキャッチコピーが上手と言えます。たとえば、22段「何事も古き世のみぞ慕はしき(昔は良かった)」、142段「心なしと見ゆる者もよき一言いふものなり」などなど。

いわゆる箴言、アフォリズムと言えそうな文句が多く、今でもパーティーや集会でスピーチを求められた時に使えそうな言葉が次々に見つかります。
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5) 兼好の物の見方

多くの場面でうまく使える文句が多いとはいうものの、「徒然草」がいわゆるハウツー物や人生指南書と一線を画すのは、一つのテーマについて一方的に決めつけることがない点です。物事を必ず両面から見る。一つのテーマを相対的に考察するという態度が顕著です。たいした用もないのに他人を訪問するなと言いながら、とは言え、暇な時にふらっと友人が来て話しこんで帰るのは嬉しいとも言います (170段)。また酒飲みの醜態を描いて非難したかと思えば、雪月花の折に気の合う同志で飲む酒などは格別とも言います (175段)。

理屈っぽいなかにも、一方的に意見を押しつけるのではないところに、「徒然草」が長く人気を保つ秘密があるのでしょう。

山田 喜美子 (全45回生)

以上
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