浦高戦の思い出   
湘南高校教諭 石井 武(55回生)

   私が湘南商校に入学して一ヶ月後に初めての浦高戦を経験しました。 当時はまだ入学したてで右も左もよくわからず、前日に推戴式なるものが行われ、運動部の先輩たちがずらっと舞台前に並び、応援団によって、校歌・応援歌の指導(?)が行われ、 ともかく、「翌日朝早くの電車にだけは乗り遅れるな!」と何回も念を押されたのが記憶に残っています。
  当時の湘南は、現在よりもはるかに男子生徒の数が多かったので(男子約30名に対し女子生徒約15名で1クラスでした。) 当時も今も男子校である浦和高校に着くと、ますます学生服だらけとなり、女子生徒はなんとなく心細いような顔をしていたような気がします。 私自身は、バスケット部に所属していたために、開会式には参加したことがなく、自分のクラブの対抗戦だけが強いイメージで残っているだけですが、他校との1日だけの交歓というものには、 新鮮な感覚を覚え、この日だけは、「浦和に負けるものか」という、単純な愛校心をもったものです。

  さて、それから十数年がたち、自分が母校の教壇に立つことになったとき、真っ先に担当することになったのが、この浦高戦であるというのも何かの因縁でしょう。 ちょうど40回記念と、湘南での4年ぶりの開催ということで、駅前の商店街の方々に協力をいただいて、歓迎の横断幕や看板などを多数寄付していただき、 その準備や設営で走り回ったことや、当日の藤沢駅から学校までの浦高生の誘導など(何せ生徒は経験がありませんでしたので)自分のおぼろげな記憶を頼りに 一日中気を抜けなかったのが、久々の浦高戦との再会でした。
  運営サイドから申しますと、女生徒が増えた湘南と、いまだ男子校の浦高とでは、対等な戦いは、当然行えません。 しかしながら、本来の対抗戦をなくすことはできません。そうした中で、湘南・浦和の両校生徒に、いかに一日とはいえ、充実した経験をさせるかというのは、実行委員・顧問ともに今でも頭の痛い問題です。 第42回から始まった、色対決などの試みは、そうした閉塞状態からの脱却という意味では、成功した部類にはいると言えましょう。 今後とも、移動の問題・湘南の女生徒の問題・単位制となった浦高の問題など問題は沢山ありますが、両校生徒の鋭意工夫によって、今後とも続けてもらいたいものだと思っております。



あのころの浦高戦   
PTA会長 鈴木直人(36回生)

   あのころとは1958年(昭和33年)から61年にかけての3年間である。校舎の3分の2近くを焼き尽くした大火は、私たちが入試を受ける数日前のことだった。 校門脇の楠(くすのき)も、校舎に面していた側半身が焼けこげ、ひどく痛々しかった。
  1年の時の浦高戦は第2回だった。 対抗戦のいわれは、浦和からの親善試合の申し入れを、湘南の松川昇太郎校長(当時)が、その場で応諾したなどと、担任の先生からやや興奮気味に聞かされてい た。 当時の湘南は、1クラス50名、うち女子がちょうど1割、5名で、それより多くも少なくもなかった。 伝統校ということもあって、校内ではまだバンカラな空気が漂っていた。 男子はみな学生服で、半年で洗えばいい方というありさまだったから、文字どおりほこり臭かった。 上級生達は、下駄での通学を認めろ、などと難題を吹っかけては、学校とりわけ生徒指導の教員を困らせたりしていた。 中庭の池を囲む教室は、夏になると食用蛙の声がやかましかったが、某部の合宿のさなか突然蛙が消えて静かになった。 七輪で焼いて食ったらしいという噂が駆け巡りはしたが、誰も別段驚かない雰囲気だった。 私達の年次はバスケットボールやサッカー、相撲が県代表で関東大会に出るなどかなりの勢いで、10種目だったと思うが、どの競技も浦和といい勝負をしていた。
  当時も、今と同じように電車を1編成借り切って遠征した。はっきりした記憶はないが、PTA (保護者)はついて行かなかったのではないか。 一昨年40年ぶりに浦高遠征に付き添ったが、北浦和の駅頭から浦高正門までの商店街やバスの発着所は、昔の面影をとどめていて懐かしかった。 当時は、校旗を掲げた応援団を先頭に、道いっぱい広がって歩いたと思うが、車が多くなった今はとてもできないことである。

  改めて浦高戦を振り返ると、さすがと思うのは、こうした全校挙げての対抗戦を企て、相手を探して申し込んできた同校の構想力である。 当時も進学校として大学受験に照準を合わせていたはずだが、だからこそ受験だけではない世界を経験させ、校外とりわけ県外の高校とも交流させたいと考えたの だろう。
  オックスフォードとケンブリッジ、慶応と早稲田などが"良きライバル"の例として語られる。 高校の対抗戦では、生徒の主体的な活動の範囲が限られ、上の2例と同レベルで議論できないが、実は社会に出てから思わぬ出会いに驚くことがある。 仕事で親しくなった相手と住所や出身地に話が及び、「もしや浦高じゃないですか」「ひょっとして湘南では」と互いに指差し、そうだと分かるやいなや、いっぺんに同窓のような気になる。 単に対抗戦の相手だったというだけでなく、高校時代を精いっぱい生きた者ならではの充実感や、一本筋の通ったものを相手に感じ取るからではないか。
  私たちは、こうした他に例のない対抗戦の歴史や意味そして面白さを、次の世代にしっかり伝えていきたいと思う。



浦高戦の思い出   
PTA副会長 岡崎雅好(43回生)

   私が三年生の時の浦高戦は、湘南高校が浦和高校まで出かけていく順番でしたが、あの頃は学校から浦和までバスを連ねて行きました。
  私は当時剣道部に属していました。今も多分一緒だと思いますが、剣道などというマイナーな競技では普段の試合に応援団や観客が来てくれるということは皆無でした。 しかし浦高戦だけは級友とりわけ女生徒に自分達の勇姿を見せられる唯一の場だったため、公式試合とは違った意味で皆が張り切っていたように思います。 当時の湘南高校剣道部は、戦後廃止されていた剣道部がクラブとして復活して間がない頃だったため、剣道場としてのスペースがまだなく、他の部と調整しながら柔道場や体育館を借りて稽古をしていました。 そのため剣道場でできる合同稽古や試合がやけに羨ましかったことを覚えています。
  当時は、スポーツだけでなく勉強の方でも両校の実力が拮抗していて、浦高戦で勝った方が大学入試でも良い結果が出るというまことしやかな噂もあり、結構いいライバルだったように思います。 また浦高は男子校ですが、湘南には女子がいるため、(当時我がクラスでは55人中女子の数は8名でした。)必要以上に浦高の生徒が頑張るんだという説が対抗戦に負けたクラブの間では満ち満ちていました。
  社会にでてからも浦高戦の話で思わぬ人と思いもよらず盛り上がったり、学生の面接をしている時などに、 出身が浦和高校と聞くだけで湘南の後輩に対すると同じような親しみを感じていたりすることがありますが、そうした経験も伝統の浦高戦があるからこそと思っています。



浦高戦で得たもの   
第43回浦高戦実行委員長

はじめに

  1997年5月14日、僕にとって初めての浦高戦。 当時は浦実となんの関係もない一般生徒として参加したが、唯一参加した騎馬戦では泥だらけになり最悪だった。 結局結果は惨敗で、正直云って浦高戦にはあまりいい印象を持っていなかったと思う。
  そんな僕が浦実に入ったのは、同じクラスだった某M氏に無理やり引っ張られていったのがきっかけだった。 最初は嫌々だったものの、この年から浦高戦の大きな改革が始まったこともあり、ゼロから新しいものを創っていく喜びにだんだんのめり込んでいってしまったのである。 そして第43回浦高戦ではなぜか委員長になっていた。 浦実のメンバーに恵まれ、それなりに成功させることができたと思っている。 そしてそれから1年半が経った今改めて浦高戦について見直してみたい。

浦高戦の意義

   浦高戦の存在意義というのは浦実の中で重要な問題であった。 周りのささえもあり結果として8年ぶりの勝利を運良く手に入れることができたのだが、それでもなお存続問題は消えることがない。 共学と男子校の違いなどにより、現在の浦高戦には存在意義が見出されていないからだ。 今まで浦実でも多くの改革が行われてきたがその間題の解決までには至っていない。 それを今の自分なりに考えてみると、「湘南生としての自分を再確認する場」だと思う。 勝った時は本当に多くの生徒が喜んでくれたし、実行委員同士の会議でも必ず浦和対湘南という構図が現れていた。 普段は意識していないが、愛校心が、自分達の中にあるのだと思う。 もちろん運動部の発表の場という役割もあるが、これが40年以上も浦高戦が続いてきた理由であり、いまもう一度見つめなおすべきことではないだろうか。

浦実で得たもの

  今振り返って見ると、自分を含めて浦実というのは一般生徒が考えている以上にプレッシャーを感じながら活動していた気がする。 体育祭の仮装パートも経験した立場から言わせてもらうと、体育祭はたとえ順位が悪くて失敗したとしても、良い思い出として許される部分がある。 しかし浦高戦では負けや、つまらないという批判が出るとそのまま廃止へとつながってしまうのだ。 そのプレッシャーで実際僕も準備期間中に、4キロほど痩せてしまった。 友達には「そこまで苦労してどうしてやる必要があるの?」とよく言われた。確かに楽な仕事ではないし、見返りがあるわけでもない。 だが浦高戦を通じて得た友人や経験は何にも代えられないものだと思う。 「男女の差を無くすためにはなにをすれば良いか」、「どうすれば2000人以上にもなる人を楽しませることができるか」など毎日考えたことは今でも確実に自分の中に活かされている。

最後に湘南生へ

  大学生になった今よく感じるのは湘南高校がいかに恵まれた環境にあるかということである。 あれだけ不安と期待がいりまじって充実した生活は2度と送れないと思う。 だからこそ短い3年間を大事にしてほしい。体育祭であれ、部活であれ何にでも自分から積極的にチャレンジすれば、きっとかけがえのない思い出になると思う。




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