第71回湘友会セミナー報告 「沖縄問題の原点」

日時: 2018年11月24日(土) 14時~16時
場所: 湘南高校歴史館スタジオ
テーマ: 沖縄問題の原点
講師: 廣田 恭一氏(51回生)

当日は三連休の中日ということもあり、出足の方は今ひとつでしたが、皆様の活発なディスカッションにより、相当な盛り上がりを見せ実りあるセミナーになったと思います。

まず、沖縄の地理として、本土の日本人はどうしても東京を中心に見る癖がありますが、沖縄(那覇)こそが東アジアの中心であることを確認させていただきました。

次に、歴史ですが、まず東アジアの中心という地理的特性を生かし琉球王国が繁栄した1429年~1609年の時代、ウチナー世(「うちなーゆ」と発音)についてお話ししました。中でも本土では全く知られていない尚真王の治世(1477~1526)が全盛でマレー半島のマラッカまで進出し、アラビア商人やインド商人とも交易、レキオ(琉球が訛ったもの)と呼ばれ信頼されていたことを申し上げました。琉球王国繁栄の秘訣は商業道徳を守り、信義誠実の原則に徹したことが諸外国諸民族の信用を勝ち取り、それが繁栄に結び付いたという私の見方を提示させていただきました。

しかし、1609年に薩摩藩が琉球を侵略し支配下に収める薩摩世(さつまゆ、1609~1879)が始まると沖縄は薩摩の弾圧・搾取に苦しむ苦難の時代を迎えます。特に調所広郷(ずしょのひろさと)の藩政改革の犠牲とされた点を強調させていただきました。本土では日本を明治維新へ向け一歩前進させた人物として評価されている調所が沖縄から見ると逆の評価となるのではという事を指摘させていただきました。

次のヤマト世(やまとゆ、1879~1945)でも琉球処分(強制的な日本への編入)と分島増約(沖縄の切り売り)や世界大恐慌(1929年)等に伴う経済不振と移民の増大という苦難が続きます。更には先の大戦において陸軍参謀本部が「沖縄は本土の捨て石」、即ち沖縄戦を本土決戦準備のための時間稼ぎと位置づけ、徹底した持久戦法を取ったために県民の被害がかえって増大する結果となったことを述べました。その一方で県民の協力に深く感謝し将来への配慮を要望した電報を発して戦死した大田実海軍少将のような人物がいたことにも触れさせていただきました。

戦後のアメリカ世(あめりかゆ、1945~72)では、冷戦初期、米国率いる西側陣営が非常に不利な情勢であったため、「銃剣とブルドーザー」という強引な方法で沖縄に米軍基地が次々と建設されていきました。それに伴うひずみ・ゆがみも大きく由美子ちゃん事件という6歳少女暴行致死事件や宮の森小学校ジェット機墜落事件 (17人死亡) という悲惨な事件事故が起こります。そのような中、沖縄県民の間からは「抵抗の文学」という作品群が生まれて来ます。今回はその代表作である大城立裕著「カクテルパーティー」(1967年芥川賞受賞)のあらすじ等を紹介させていただきました。

そして佐藤栄作首相の努力等により1972年沖縄県は祖国復帰を果たしますが、当時の状況から広大な米軍基地が存続せざるを得なかったことを述べさせていただきました。また1972年という年は高度経済成長の最終盤にあたっており(高度経済成長の終焉を1973年の石油ショックと仮定すれば)、沖縄は高度経済成長から取り残され、その結果現在でも経済界の方と沖縄県の距離が遠いのではないか(少なくとも私の目からはそう見える)ということを指摘させていただきました。

1972年以降(ウチナー・ヤマト世)のことについては、特に政治や行政のことになるとどうしても話がドギツクなるので私の意見は控え事実のみをお話ししました。即ち1972年と2018年を比較すると本土の米軍基地が60%減に対し、沖縄のそれは33%減に留まること、宜野湾市にある普天間飛行場を名護市辺野古に移設させれば住宅密集地(小学校10、中学校5、高校4、大学1が存在)の中の米軍飛行場という危険な状況は解消されることを申し上げました。

少しでも興味を持っていただくため宜野湾市には先頃引退された安室奈美恵さんを生み出した沖縄アクターズスクールがある(あった?)ことや、名護市はプロ野球の日本ハムファイターズのキャンプ地であったこと(現在は市営球場改修中のため同球団は米国でキャンプ)、今年(2018年) 大リーグで活躍した大谷翔平選手が初めてキャンプインした時(2013年)には大変な人出であったことをお話ししましたがいかがだったでしょうか?

いずれにせよ、湘南も含め本土の教育では欠落、空白となっているウチナー世とアメリカ世を中心にじっくりお話させていただきました。皆様には初めて知る事も多くそれなりに新鮮だったのではないでしょうか。

さて、私が感動したのは質疑応答に移ってからです。多くの方が手を挙げ「現在の沖縄県民の琉球王国に対する思い入れはどうか」「沖縄に企業が少ないのはなぜか」「基地の整理統合を推進させるべきではないか」「米軍基地があることによって沖縄県民がメリットを得ている側面もあるのではないか」更には「沖縄県のマスコミ事情如何」といったバラエティーに富んだ質問をしていただけました。私の回答には不十分な面もあったかもしれませんが精一杯お答えしたつもりです。改めて湘友会の議論の幅の広さ、奥行きの深さ、中身の濃さに感銘を受けた次第です。

また、付録として本校開校年である1921年・大正10年の出来事についても触れさせていただきました。ワシントン海軍軍縮条約、4か国条約 (太平洋の諸島嶼の安定) と日英同盟解消、9か国条約(中国の領土保全等)、原敬首相暗殺(後任は高橋是清)がそれです。何らかの形で皆様のご参考にしていただけたなら幸いです。

最後に本校開校100周年の2021年を間近に控え、準備等も大変だと思います。私も湘友会の一員として微力ながら努力・協力していく所存です。湘友会の皆様の益々の御健勝を祈念して今回の御礼とさせていただきます。ありがとうございました。

廣田 恭一 (51回生)