第83回湘友会セミナー報告「1964 東京五輪に魅せられて 〜2020 東京オリ・パラへの道程〜」

日時 : 令和元年 11 月 30 日 ( 土 ) 14 時~ 16 時
場所 : 湘南高校歴史館スタジオ
テーマ : 1964 東京五輪に魅せられて 〜2020 東京オリ・パラへの道程~
講師 : 武隈 晃 氏 (52 回生)

武隈 晃 氏は1983年に筑波大学大学院修了の後、2004年に鹿児島大学教育学部教授、2019年からは鹿児島大学理事・副学長を勤められている。ご専門はスポーツ経営学である。セミナーでは、日本の体育・スポーツのこれまでの取り組みを辿り、「2020年東京オリンピック・パラリンピック」開催とその意義、さらにこれからを考える視点から論じられた。

伝統
セミナーのはじめには、近代スポーツの歴史は「対抗戦」とともに発展したことから「湘南高校対浦和高校定期戦」の伝統が、オックスフォード対ケンブリッジレガッタ、東京六大学野球、関東大学ラクビーと同様に身近にあったことが再確認された。

近代オリンピックの父クーベルタンは「・・スポーツを実践することを通じて、若者を教育し、平和でより良い世界の建設に貢献することで社会を変革できる・・」と提唱しIOCを設立した。近代オリンピックは1896年の第1回ギリシャ大会に始まり、このオリンピック・ムーブメントの提唱と共に進展してきた。そしてオリンピックは世界最高のスポーツの祭典として開催される。IOC委員で大日本体育協会(1912年)を設立した嘉納治五郎(=講道館柔道の創設者)はこの趣旨に賛同し、日本は1912年第五回ストックホルム大会に初参加した。マラソン選手の金栗四三(東京高等師範学校、箱根駅伝の創設の尽力者)ら二名が出場した、その取り組みはNHK大河ドラマ「いだてん」にもなり今日では広く知られている。日本の体育とスポーツはその原点が、オリンピック精神に賛同した崇高な理念に基づいていることをセミナーではまず再認識した。

その後、半世紀を経て1964年の東京オリンピックに向けて「スポーツ少年団(1962年)」が東京五輪選手団長であった大島鎌吉氏らにより設立されている。武隈晃氏からは鹿児島大学教育学部の前身である鹿児島師範学校卒業生の森(山下)徳治氏が日本の「スポーツ少年団」の哲理の起草者であったことが紹介された。
こうした伝統の中で武隈晃氏は1993年に「運動の価値」についてそれまでの、①競争、②達成、➂克服、としてのスポーツ。④摸倣・変身としてのダンス。⑤からだづくりに加えて「⑥体ほぐしの運動…解放(physical release) 」を小・中・高校全ての体育に必修の「フィットネス」とする提案を行い、体育カリキュラムとして広く広まった。その提案はスポーツを通じて「心と体」をつくるという一貫した考え方に立脚している。

オリンピック・パラリンピックへの課題
武隈氏は「わが国における地域スポーツの現状(1998年 衆議院文教委員会におけるスポーツ関連法案の審議)」を考える場において、そこに「疎外者」の存在があり「障害者のスポーツ実施率」が当時、欧州10%超えに対し、日本は1%に満たなかった状況を提示し、スポーツの機会均等化へと進めることが必要であると課題を提議した。その後に続く実践の結果、現在では当時の欧州と同レベルとなる(日本の20年前の)約20倍にまで達していると述べた。

セミナーでは、こうした日本の道程を「体育・スポーツ経営学の四つのフェーズ」として捉え、課題と目標、さらに法制度の整備まで含め、日本の未来を見据えるプレゼンテーションが行われた。以下にその要点を記す。

〇第一段階は1950年代から始まる「モノ(施設・設備)の管理」
・校庭に鉄棒はどこに設置したらよいか?跳び箱は何台整備すればよいか?200mトラックをどう作るか?という基本的な管理。
・施設管理の立場から障害者スポーツを検討。
1961年スポーツ振興法制定
1964年東京オリンピック、第二回パラリンピック開催
1965年厚生省認可日本身体障害者スポーツ協会設立

〇第二段階は1970年代から始まる「豊かな運動生活「運動者」及び「体育事業」概念の台頭」
・高齢者、女性、ジュニア、障害者等の運動者の特性に応じた経営論。
・障害の特性に応じた種目やスポーツプログラムの開発、スポーツ施設の整備、スポーツ施設の設立。
1981年国際障害者年、大分国際車いすマラソン開催(=ボランティアと地域の協力で実施)

〇第三段階は1990年代から始まる「豊かなスポーツ生活「スポーツ生活経営」概念の台頭
・種目別・障害別のスポーツプログラムの開発および普及とその供給システムとしての障
害者スポーツ組織やNPOの経営論。
・「支えるスポーツ」の象徴であり中核としての障害者スポーツ。
・「アダプテッド・スポーツ」の認知が拡大。
1999年日本障がい者スポーツ協会、日本パラリンピック委員会設立
2001年全国障害者スポーツ大会開催、IOCとIPCの協力関係の基本合意

〇第四段階は2010年代から現在に至る「スポーツ格差是正の経営学」
・経済格差がもたらすスポーツ格差、障害の有無による格差、障害種による格差、高度競技スポーツ(「見るスポーツ」の対象)とそれ以外の格差などの是正が課題となる。
2011年スポーツ基本法制定
2015年スポーツ庁設置

これらの総合的な視点から道程を捉えたセミナーで、会場では来るべき次の段階に期待感が集まった。

オリンピックとパラリンピックの現在と展望
オリンピックの現在はオリンピック競技大会をもオリンピック・ムーブメントのひとつとして捉えるものだという。オリンピック主義を広める運動でありIOCのオリンピック・ムーブメントは「スポーツ・文化・環境」が三本の柱である。また「パラリンピック」も(後付ではあるが)オリンピック・ムーブメントの一環であると捉え直していると解説された。

一方、パラリンピックの現在では、パラリンピックの価値として「勇気・強い意志・インスピレーション・公平(equality:平等)」が挙げられている。パラリンピックムーブメントは「パラリンピックスポーツを通して発信される価値やその意義を通して世の中の人に気づきを与え、よりよい社会を作るための社会変革を起こそうとするあらゆる活動である」と周知された。

こうした背景には2001年にはIOCサマランチ会長とIPC(International Paralympic Committee)ステッドワード会長のもとで両委員会の協力関係基本合意がなされたことがあり、その意義は非常に大きいと理解される。

武隈晃氏の示したこれらの道程からは第1回パラリンピック開催地と認定されたローマ大会(当時は「ストーク・マンデビル大会」と呼ばれた)に続き、第2回として本格的なパラリンピックを開催した1964年東京大会の意義は大きく、障害者スポーツの国内外の交流を広く進め、それを契機にその後はスポーツを通じた健全な社会の構築を進めていることが良く伝わる。この半世紀に渡る成果が2020年東京オリンピック・パラリンピックで実施されることの意義にセミナー受講者はあらためて気付き大きな感銘を受けた。

プレゼンテーションは続き「障害者スポーツ経営から2020年東京オリンピック・パラリンピックを転換点に日本におけるスポーツのこれまで・これからを考える」目標が掲げられた。

これまでの取り組みは次の3点に要約された。

1「リハビリテーション・福祉領域」から「スポーツ文化」へ
2「支える・するスポーツ」から「する・支える・みるスポーツ」へ
3「行政主導・行事中心」から「民間主体(障害者スポーツNPO等)・継続プログラム」へ

これからの取り組みの重要点は次の4点であり注目される。

4「スポーツ教育システム」における「好循環(「受け手」⇒「送り手」に)」の保証
5 日本型「機会均等・格差是正(学校運動部活動の普遍の価値はスポーツにおける機会均等の立役者)」の仕組みの維持
6 スポーツ・インクルージョン(「スポーツにおけるインクルージョン」及び「スポーツによるインクルージョン(社会におけるインクルージョン)」
7 障害者スポーツによるスポーツ文化と社会規範の再構築

伝統の行方
武隈晃氏はスポーツ経営学を専門とする視点から、セミナー会場の歴史館の数々の母校の実績の展示に、日本の学校体育の貴重な軌跡を認めて非常に感銘を受けたという。湘南高校の対組競技や学年を縦断した色別対抗は、スポーツを通じた文武両道の文化の実践そのものである。そして誰でも参加できる「体育」による機会の均等と、好きなスポーツ種目に取り組む「運動部活道」が大切である事が再認識された。

今日では同時に「学校体育」と「スポーツ」を取り巻く機会均等を巡り、地域の施設整備と運営、さらには指導者としての教員の働き方改革が加わり表裏一体の課題となりつつあるという。そして「国民体育大会」の名称が2023年から「国民スポーツ大会」になる状況を迎え、どう進展するのかを注意深く見守る必要があると武隈晃氏は力説した。世界が羨む「学校体育・スポーツ文化」を創り上げた日本の道程に敬意を表し、現在を維持し、より良く発展させることが本題であると考えられるのである。

2020年東京オリンピック・パラリンピック開催を迎え、その意義の再認識と成功を祈り、未来への発展を期してセミナーは終了した。