>>>第3回 インド湘友会報告!!!<<<

3月14日(土) 、当初予定を2カ月も前倒しして第3回インド湘友会を挙行 (強行) した。

今回もメンバーは、会長こと小方聡 (55回生)、応援団長こと佐藤充孝 (59回生)、会員発掘隊長こと霜田知也 (62回生)、そして広報に携わる小生こと川野丹大 (68回生) のレギュラー全4名フル参加 (レギュラーしかいないが…) と、インド湘友会の結束力の強さ (寧ろ他メンバーを逃がさない…) も改めて確認する事ができた。

物事が遅延する事はあっても前倒しになる前例は、インダス文明から綴られている史実上無い (筈の) インドで、当初の5月の予定を2カ月も前倒しして強行、では無く挙行したのには“深イイ”理由があった。霜田発掘隊長である。『第2回 インド湘友会報告!!!』でご報告しているが、小生は霜田隊長に発掘され、そしてインド湘友会に拉致、と言うと幾ばくかの語弊があるが、小生の意思表示の余地無く会員登録されたのはご既承の通り。それが先月。

ところがそこから舌の根も乾かない今月、何と隊長が『アメリカ横断ウルトラクイズ』宜しく“東京直行”で今月末に東京に帰任するとの電撃カミングアウト、と言う暴挙に至った。従って、隊長をも逃さず先般予告通りゴルフを4人でするには今月しか時間が残されていない事から、急転直下2カ月前倒しする運びとなり、実行に移したものである。

小生が会員登録された翌月にイチ抜けされると言うのは、小生の目からすると確信犯的な匂いすら感じない訳では無いものの、そこは疑わしきは罰せずのスピリットで、小方会長及び佐藤団長と共に霜田隊長がインドにそしてインド湘友会に後ろ髪を思い切り引かれてしまうくらい盛大に且つ懇ろに、壮行会を兼ねて第3回インド湘友会を挙行した。

前振りが恐らくインド湘友会報告の中で最も長くなってしまったが (と言ってもまだ第3回) 、今回の会場は1次会が隊長のホームコースでヤシの木がそびえ立ちリゾート臭がそこはかとなく漂うJaypee Greens Golf Course (写真①ご参照) 、2次会がデリーでは甚だ貴重な焼肉を堪能できるKoo House (写真②ご参照) 、と言うラインナップだった。

当日朝。小生がAM4:30に起床した際、天気はゴルフ日和、、、ではなく雷雨だった…。前日まで申し分の無い好天だったのだが、隊長の前途を暗示している訳では皆目無かろうが、天気は前日から別人の様に変わり果てていた…。とは言え土砂降りの中のラウンドも語り継がれるネタになろう、、、! と気を取り直しつつコースに向かった。するとメンバーの中に熾烈な晴れ男がいるのか天気はみるみると好転し、コース到着時にはすっかり止んでいた。

当日は日の出が6:32だったところ、6:40に写真①を記念撮影し、ティーオフした。

スタート間も無く、会長から隊長の壮行ゴルフを盛り上げるべく1つの提案があった。「“オリンピック”くらいやるでしょ。」と。ゴルフを其れ成り以上に嗜まれる方はご存知かと拝察するが、オトナ (おっさん) のゴルフをより盛り上げる仕掛けの1つに“オリンピック”と言うゲームがある。 (概要はここでは割愛。気になる湘友会会員はネットにて。) 全会一致でオリンピック導入が決まり、徐々に晴れて気温も高まってきた中で、壮行ゴルフのボルテージも一段高まった。


写真① (左から川野、小方、霜田、佐藤)

しかし数ホール進んだところで、より強い刺激を欲したのか、今度は団長から1つの提案があった。「“南海近鉄 (何回金鉄) ”やりませんか。」と。このオプションの説明も割愛するが、インドで物怖じする事を忘れてしまったインド湘友会メンバーの反対は1ミリも無かった。

更なる刺激を求めた団長より次に“チューリップ”の提案があった。小生も会長も隊長もゴルフキャリアに対する一定の自負を持っていたが、このチューリップと言う引出は持ち合わせていなかった。団長より詳細伺うに、どうやらパチンコに因んでいる模様だが、“ストレート”達成者に対してはチューリップが“開き”、達成者が3パットするまで他プレーヤーのパット数が点数としてじゃらじゃらとパチンコの様に入って来る、と言う仕掛けであった。南海近鉄もややバブリーな仕掛けだが、このチューリップと言うよりバブった仕掛けも導入する事で壮行ゴルフのボルテージは3rdギアにシフトアップした。

バックナイン2ホール目、小生がチューリップ開花宣言一番乗りの狼煙を高々と上げるに至った。
そこから一気にグリーン上での緊張感が錐揉み巻いて急上昇した。と言うのも、小生は3パットしない様に、会長、団長、隊長は少しでも少パット数でホールアウトできる様、否が応でも集中力を研ぎ澄ます事になったからだ。ホールが進む毎に着実にじゃらじゃらと積み上がる小生の“点数”、ゴルフ自体のスコアはそれなりに拮抗していたもののそれは最早略そっちのけ、ホール毎に開くオリンピックの点数の差を何とか“止血”せんと会長、団長、隊長が湘友会会員としての英知を結集し秘策を練り始めた。

英知を振り絞り各種素案を試行錯誤して絞り込んだ結果、上がり3ホールで出てきた止血策のファイナルアンサーは、、、“倍々ゲーム”だった。即ち、小生にも平等にチャンスは提供されるものの、小生が取れずに会長、団長、隊長が取れれば差は縮まる、と言う、虎穴に入らずんば大作戦、だった。
2倍となった16番ホール、ガードバンカーからの小生のショットは、あわや“ダイヤモンド”及び“砂ゼロ”の会心の寄せとなり会長、団長、隊長の肝を瞬間凍結しつつ、カップ下1m弱にピタリ、銅パットを残すに至った。それが南海近鉄様々、銀パットに繰上がり、繰上げ金パットは外され、やや緊張する小生の2倍銀パット+砂イチパット、、、、、カッコーン!! この1パットで9点及び引続きチューリップでもじゃらりと点を獲得し差を更に広げてしまった。

そして3倍となった17番ホール。且つここはショートで既に“4階建て”になっていた。ニアピンの点数も3倍と言う事でそれを取れば36点。あたかもバラエティクイズ番組の「ラスト問題は100万点!!」みたいな、今までの積上げは何だったんだ!?的なハイパーインフレの様相を呈してきていた。しかしここは平和に?ニアピン該当者無く割と大人し目に過ぎて行った。

そして最終18番。17番がさざ波程度だったからか、それとも差が詰まっていないからか、団長と隊長が最終ホールで満を持して一世一代の大勝負に出てきた。ドラコンとドラ短である。しかし、詳細取決めをどうするか、点数をどうするか、仕掛け人の団長と隊長で喧々諤々している内に前の組と随分離れ、後ろの組が迫ってきていたので、詳細固まる前にオナーの小生はドライバーで渾身の一振りをしてしまった。
パッキーン! 打球は美しい弧を描いて真っ直ぐに飛び出して行った。

「あれ!?もう打っちゃったの?」詳細を取り決めた模様の団長と隊長が聞いてきたが、小生の白球は止められなかった。ボールはまっしぐらに飛んで行ったが、やや右ドッグレッグの18番、残念ながら小生のボールはフェアウェイを捉えるのは難しそうだった…。そしてそれを確認できた団長と隊長は心なしかホッとしていそう、と見てしまうのは恐らく偏見が過ぎよう。

そして団長と隊長のティーショット。ガツンと飛ばしてがっちりフェアウェイキープしようとした2人の起死回生を賭けたドライバーショットは、、、大いに力んだのか随分引っ掛けて共に左隣のホールに消えて行った…。自ら仕掛けた大逆転を狙ったドラコン・ドラ短の権利には手を掛けるに至らなかった…。
会長のティーショットはやや右に行き、小生と会長は夫々ファーストカット、と言う事で、ドラコン/24点・ドラ短/24点の権利は誰にも発生せず、18番で突如発生したオプショナルゲームは幻に帰した。

そして4倍にまで点数が跳ね上がった最終グリーン、、、このグリーン上は荒れに荒れた…。何と南海近鉄で繰上げが6回も発生した…。もしプロツアーでこの様な記録が残っていたら、間違いなく新記録をマークしていただろう… (プロではこの様な体たらくなパットは無いであろう為) 。

斯くして最終グリーンの最終パットまでボルテージが右肩上がりに上昇していった壮行ゴルフが幕を閉じた。

名残を惜しみつつコースを後にしてスコアよりも一心に注目を集めた点数集計をしてみると、甚だ僭越ながら小生が、ブッチ切りと言う程ではないが70点で次点に倍以上と言う結果となった (レートは非公開) 。主役であった筈の隊長への“接待ゴルフ”を一切せず、“KY”振りを遺憾無く発揮したガチゴルフの結果の高得点となってしまった。

さて2次会のKoo House、“オリンピックの激闘”で疲弊した身体の栄養補給の為にもインドで貴重な焼肉を頬張り、存分にタンパク質を補給した。もちろん写真②の通りアルコールも忘れずに。

Koo Houseで検索するとホテルとして出てくるのだが、来てみると写真の通りどう見ても韓国料理店でありメニューもそう。ただ目を凝らしてみると、室内にはホテルとして利用されていた余韻と形跡が至る所に散りばめられており、恐らく (最低限の) リノベが施されてインドの●星ホテルがひっそりと韓国料理屋に生まれ変わったものでは無いかと偲ばれる。


写真② (左から佐藤、小方、川野、霜田)

そして〆は矢張り校歌斉唱。今回は動画も撮る事にした。iPhoneを若そうな女性定員に預け、熱唱するインド湘友会メンバーの雄姿と美声を余すとこなく動画に収めようと団長が個室の扉を閉めようとしたところ、軟禁の身の危険を敏感に察知した女性定員が一目散に個室から脱出して行った…。Koo Houseには良質な焼肉の用意に加え、良質なリスク管理体制も整備されている事が確認できた。酔ったおじさんの不穏な絡みからは逃げるが勝ちである。

女性店員には図らずも逃げられてしまったものの、インド湘友会会員一同当然微塵もへこたれる事は無く (懲りる事も無く) 、Koo Houseの客全員 (結構空いていたが) の耳に轟かさんと「秀麗の富士」を大合唱し、また東京での隊長の益々の輝きとインドへの速やかな再赴任を祈念したエールを団長の応援のもとで存分に送り、隊長の壮行会の為の第3回インド湘友会を締めるに至った。

次回第4回インド湘友会は、5月に今度こそインドの名門DLF Golf and Country Club で開催される事だろう。隊長が来印の上、一緒にラウンドと言うシナリオもあるものの、現状では1名分枠が空いている為、第2回湘友会報告でも募集したが、ご興味を持たれた湘友会会員及びそのご家族、ご親族、ご友人がいらっしゃれば是非ご連絡され度。 (akihiro.kawanocubehighways.com; 川野まで) ( を @ に)

川野 丹大 (68回生)