令和の御代 相撲部OB会 始末

令和の御代になるのと同時に「湘南中-高相撲部稗史」の上梓を見た。これは湘友会創立100周年実行委員会の示唆と実質的な補助を頂いて行動したOB会有志の努力の結実であった。

そして この完成を機に 平成24年6月24日 横浜での会合以来 小休止していたOB会を開催しようと 稗史作成作業の実行派メンバーの 余勢を駆った企画が実り 天象気象地象の定まらぬ中 新しき令和の御代の第1回湘南高校相撲部OB会が開催された。

我らの真情 天に通じない筈はなかろうと選定した11月17日の日曜日、盛業中のゴールデンアワーを貸し切りの無理を言って寄り切った 正午からの2時間であった。

当日 30分前の11:30を待たずして 本年 米寿を迎えられた 最長老 斎藤先輩(25回生)を始めとして各年次は顔ぶれを揃えていった。

一番の出色は 津軽の海を隔てた北海の地から季節に南下する渡り鳥よろしく長躯飛来した鴛鴦 寺澤(37回生)夫妻であって 些かボリュームコントロール侭ならぬ音量を発しての着到であった。

北から飛来する鴛鴦あれば南にも営巣する鴛鴦がいる。街を遊弋するときは何時も2機編隊であり 稗史作成もOB会の企画準備 折衝 果ては当日の進行係まで一手に引き受けてくれた片岡(36回生)夫妻である。

会場設定から写真撮影 プリントアウト 一部当日配布まで実によく動いてくれた。無論内助外助の力が 支えてくれていたことは 自明でそれは 宛も鳳が凰を必要とし 麒が麟に支えられる如くに である。

大戦の終了とともに武道が禁止されて 空いた弓道場跡の建屋に すっぽり納った土俵を北沢・加藤の先輩達と守り 後輩に伝えてくれた高橋先輩(27回生)それを直接受け継いだ飯田・早坂(28回生)、“華の”と形容詞が付く“華の30期”からは体調思わしくないと令嬢帯同で姿を見せた相撲巧者の名を恣にした佐々木(30回生)のみであったのは少し心が残った。

フットワーク軽く 労を惜しまず行動する片岡(36回生)とトリオを組んで細かい気配りを見せた田中(36回生)永年 OB会の幹事長で 特に 不慣れなはずの稗史作成では飽くなき努力とひらめきを見せて完成してくれた石渡(37回生)の両人は特筆しなければなるまい。

何故か多くの部員を輩出している鎌倉一中 その出身で現在も市にかかわる活動を続ける岡林(37回生)も姿を見せた。今まで38回生が最後の相撲部員と聴き それを信じ込んでいた我々は 実は昭和39年まで土俵が存在したと聞いて本当に驚いた。その最後の相撲部員が出席してくれた。大胡(40回生)である。同期の田中良典も名古屋住で健在の由 極めて重畳。

さて 定刻 軽く目を閉じ 瞑想して 各人の心の中に土俵を思い描き その中央に歩を進め 蹲踞してかつてのライバル 稽古相手と相対した心境でオープニングを迎えたOB会もグラスが挙がり 杯が交錯すると見えたが 湘南の一角 逗子でのひと時は 瞬時にして過ぎた。

青春の土俵の想い出に浸り 紅葉に輝く白秋の正午に相会うたかつての高校力士の面々は再会を期し 三々五々散っていった。出席者の皆が古希を過ぎていることとて秘かに用意した風邪薬も 翌日を思料しての強肝剤も 配布に至らなかったのは何よりだった。

散会して 曹操の 賦の一節がふと頭を過ぎった。

老騎伏歴 老いたる駿馬は厩に伏すとも
志在千里 千里のかなたに夢を馳す
烈士暮年 烈士齢を重ねるも
壮心不已 壮心已(とどめ)あえず

まだまだ 元気な諸君には 縁なき感想であろうと思いつつ…。

早坂 (28回生)