第5回「湘南卒業生にみる成長の特徴」… コラム「湘南生解体新書」

コラム「湘南生解体新書 ~ エビデンスに基づく『すごさ』の検証」
第5回「湘南卒業生にみる成長の特徴」
濱中 淳子 早稲田大学教育・総合科学学術院教授
本連載第3回からの宿題

本連載第3回の議論を振り返れば、企業人として働く男子の役職や年収の分析を踏まえ、次のような議論を展開していた。

比喩的に表現すれば、湘南卒業生と開成・灘卒業生とは、最終的に登りつめる山の高さにそれほど変わりはないが、頂上に着くまでの道のりが違う、と言ったところなのではないだろうか。30代、40代と登山道を着実に歩きながら、一歩一歩頂上に近づいていく湘南卒業生。他方で近道が見つかれば険しそうでもルート変更を試み、たまに駆け足をしながら頂上を目指す開成・灘卒業生。ただ、この「山登り」の様相については、関連して2点ほど追加しておきたい。

ひとつは、こうした湘南と開成・灘の違いは、就業前における知識能力の獲得のあり方にも見られるということだ。調査では、「与えられた課題を達成する力」などの知識能力をいつどのように身につけたのかについて回答してもらっているが、その分析からも上記と同様、湘南には「一歩一歩」、開成・灘卒業生には「近道」「駆け足」といったようなキーワードが浮かび上がる。回を改めて、詳しく描写したいと思う。

いまひとつは、浦和卒業生についてだ。(第3回の) 図表3をみる限り、浦和卒業生の年収 (中央値) は、湘南卒業生のそれに比べて伸びに勢いがないと言えそうだ。しかし、だからと言って、それがそのまま「湘南の方が…」ということにはならない。というのは、役職面ではほぼ「湘南=浦和」という状況だったことに加え (第3回の図表2)、ここでも議論の先取りになるが、データを仔細にみると、浦和の強みは、企業 (役職) 以上に、専門職の世界で確認されることになるからである。

この連載第5回では、1点目の指摘である「知識能力の獲得のあり方」を扱うことにしたい。湘南には「一歩一歩」、開成・灘卒業生には「近道」「駆け足」というキーワードを掲げたが、なぜ、そのように述べたのか。ここでも企業人として働く男子のデータ分析から説明することにしよう。

「一歩一歩」とはどういうことか

卒業生調査では、自分自身の知識能力について、いくつかの観点から時期別に自己評価してもらった。高校時代、大学時代、就業後の知識能力はどのように評価されるか。用意した選択肢はいずれも「自信の『有』『無』」である。

就業前の知識能力獲得について、湘南卒業生と開成・灘卒業生の違いを上述のように「一歩一歩」「近道・駆け足」と表現したくなったのは、図表1に示す結果が得られていたからである。「与えられた課題を達成する力」「問題点や批判点を見出す力」「知識量」の3つについて「自信があった」と答えた卒業生の比率を示したものだが、ここに1つの明らかな傾向が現れている。

つまり、高校卒業時点までの状況を見れば、いずれも開成・灘卒業生のほうに大きな比率が確認されるが、その差は大学時代を終えるまでに消滅する。高校卒業までの成長は開成・灘に顕著にみられるが、長い目で見れば互角、とでも言えるだろうか。

(図表はクリックすると拡大します)

湘南卒業生たちの大学時代の過ごし方

「長い目で見れば互角」となるのは、それなりの理由がある。

調査では、高校時代ならびに大学時代における勉強に対する意欲について振り返ってもらった。図表2はその回答を整理したものである。4択 (意欲的だった-やや意欲的だった-あまり意欲的でなかった-意欲的でなかった) の回答のうち、「意欲的だった」と「やや意欲的だった」を積み重ねたグラフだが、(中)高校時代→大学時代という流れのなかで、開成・灘卒業生たちの意欲は減退している一方、湘南卒業生たちの意欲は上昇していたことがわかるだろう。

開成・灘卒業生の意欲が減退したのは、かれらにとって大学が中高以上に面白い場として映らなかったからなのかもしれないし、受験が終わって「休息モード」に入ったからなのかもしれない。サークルやアルバイトに打ち込んだからという可能性も想定されよう。ただ、だからこそここで強調すべきは、こうした「休息モード」になりがちな大学時代であっても、湘南卒業生たちの意欲はむしろ高まりを見せていたという事実である。ここに「湘南生らしさ」なるものが反映していると捉えることもできよう。

関連して、図表3の結果も紹介しておきたい。(中)高校時代と大学時代の読書状況をジャンル別に示した結果である。ここにも図表1図表2とシンクロする傾向が現れている。高校時代、湘南卒業生たちは、開成・灘卒業生たちと比べて「思想書・人生論・純文学」や「歴史小説・ノンフィクション・ドキュメンタリー」に該当する書物は読まなかった。しかし、大学生になってから、こうした書物を手に取るようになり、読書率は開成・灘卒業生のそれと遜色ない程度にまで伸びた。なお、大学時代になってから現われた「マンガ・趣味娯楽書」における開成・灘卒業生との有意差 (統計的に意味のある差) はご愛敬である。

湘南男子のほうが駆け足で身につけたもの

開成・灘卒業生たちが高校時代までに勤しみ、獲得していったものを、湘南卒業生たちは、大学時代も含めたスパンで経験し、身に付けている。もちろん個人差はあるが、少なくとも集団として見たとき、そのような傾向が目立つ。その姿からは、「山を一歩一歩登っている」という表現が脳裏に浮かび上がる。

しかしながら一方で、実は湘南男子のほうに駆け足的要素が見られるものもある。今回の締めくくりとして、図表4の結果を示しておこう。これは、図表1の「与えられた課題を達成する力」と同様の方法で「体力」と「対人関係能力」の状況を示したものである。開成・灘との関係が図表1と逆転している様相が読み取れよう。まず、既に高校時代に、体力と対人関係能力に自信が持てるようになっていたのは、湘南卒業生。そして開成・灘卒業生たちは、大学時代に同程度の状況に追いついている。

なるほど、もしかしたら「一歩一歩」や「駆け足」「近道」というより、山登りにはいくつかの登山口があり、湘南と開成・灘とでは、どの口から登るのかに違いがある (したがって、どの力の成長が早くに見られるのかが異なる)、と理解したほうが適切だったかもしれない。

さて、次回は浦和との比較を試みる。以上のように開成・灘との差は就業前までに縮まったが、浦和との比較からは、残存し続ける自己評価の差というものが顕著に見られる。そしてさらにいえば、その差が、各校出身者の働き方と絶妙に関わりあっているようにも見える。予告のようなものは、すでにこの連載第5回の冒頭でも触れている――「浦和の強みは、企業 (役職) 以上に、専門職の世界で確認される」。詳しくは次回を参照されたい。


【コラム執筆者】
濱中 淳子
教育社会学者、教育学博士。
東京大学高大接続研究開発センター教授を経て、
現在、早稲田大学教育・総合科学学術院教授。
専門は、教育社会学、高等教育論。