関西支部25年第1回平野散策と懇親会

6月23日(日)関西支部の例会を開催致しました。その様子を報告致しますが、今回は写真を撮り忘れましたので添付はありません。

1. 平野散策
13時30分、JR大和路線加美駅に、中元ご夫妻、脇村、一花、大野、大下、公文、松村の各氏が集合、いつものように大下さんの案内で散策しました。

(1) 集合後、今は「がんこ寿司平野郷屋敷」になっている庄屋だった辻元家の庭とお蔵を見学。江戸時代初期の建物だそうで、取り壊すより飲食店になった方がマシですね!

(2) 奥田家住宅(国重文)見学。一歩入った所からの眺めが一番いいと言われたお邸は、屋根(茅葺きに庇部分が瓦)が独特。江戸時代の姿に修復、梁や柱のあまりの立派さに感動、全部松だそうでよほどの巨木。この地区はいつも戦乱の中心で揉まれ続けて、その度に支配者が変わったのでそれほど続く名家はないそうです。我々の態度が良かったからか中元ご夫妻の威厳のせいか、帰る時にはご主人も送って来られ、入った時は小さな潜り戸からだったのに、「武士の作法でお帰りいただこう」と立派な長屋門の大戸を開けて送り出して頂きました。ここは、現在の地名も鞍作地区。古代にはこの地に渡来人の鞍作部が定住、法隆寺釈迦三尊像や飛鳥寺の飛鳥大仏などの作者鞍作鳥(くらつくりのとり)はその子孫。

(3) 樋之尻橋から平野郷に入り、豊臣秀吉ゆかりの平野の黄金水の碑と井戸のあと、樋之尻口地蔵を拝む(この地蔵堂は真田幸村が日本で初めての地雷を仕掛けたが、家康は死なず地蔵の首が全興寺(せんこうじ)に飛び、首地蔵としてまつられているとのこと)。平野郷は中世から環濠に囲まれ、その13の出口すべてに地蔵堂があり出入りする人を守っていたそうで、今も地区を囲むように地蔵堂が残っています。

(4) 全興寺で一休み、松村さんに送られて中元ご夫妻が大阪へ。身軽になった残りの5人、一花さんの「お饅頭が名物なの?」の一言で、長寶寺、大念仏寺、馬場口地蔵など大幅にカット、亀の饅頭屋に寄り、国道に出て、杭全(くまた)神社へ。お田植神事の済んだ緑の稲田を見て平野環濠跡に沿って平野駅へ。環濠には半夏生(ハンゲショウ、ドクダミ科。この季節だけ葉の下半分が白くなる。)がいっぱいに咲き?歩いた後のほっとする風景でした。

(以上 大下記)

2. 懇親会
17時30分より、大阪弥生会館にて開催、松村さんを除く散策した皆様に加えて、石川、鈴木、平河、福島支部長、添田、瀬川、公文ご主人、井澤の各氏が加わり15名でした。

(1) 中元大先輩の乾杯とご挨拶。「中学4年で兵役なしの医者を目指す」「私の患者さんで亡くなった人はいない。危ない人はすぐ大きな病院へ」「実は医者は嫌いだった、大学の先生の時が一番」など。奥様はその出会いから「私学(慶応義塾)は国立より給与が少なく、結婚当初はそれこそつつましい生活(幾度も強調)の連続だった」と楽しい思い出話。

(2) 大下さん提供のスポーツ紙で「甲子園経験の監督のもとで、湘南高校野球部が文武両道を目指す」話題。脇村さんの「秋の大会で良い成績を残すと21世紀枠の可能性も」に皆期待を膨らました。(後日談…石川さんより夏の大会でシード8強入り!の連絡あり)

(3) 恒例の近況報告はいつもながら、病気も楽しい話題に換えながら進みました。添田さんからは、選挙に立候補中との報告(後日、無事「学校歯科医師会の監事」に当選の報告…おめでとうございます)、また、鈴木さんからは新しい店についての話題 (7月4日、JR吹田駅前に「炭火焼 福屋」(電話06-6381-6895)開店の連絡あり…御繁盛を祈るとともに御支援方宜しくお願いします!)と話題一杯でした。

(4) 最後に、「青春の歌」「校歌」を皆で歌い次回の秋の集まり(10月ごろ)での再会を約して散会しました。

(文責 連絡幹事 井澤 勝)