7月22日、ニューヨークのブライアントパーク

7月22日、湿気がうっとおしく感じる最近の日々とは違いドライで爽やかな晴天に恵まれ、ニューヨーク湘友会のランチ懇親会が、ニューヨークマンハッタンの42 Street にあるBryant Park Restaurantで行われました。Bryant Parkはまだ午前11時半という事もあり、騒々しい観光客が周りに少なく、スムーズに屋外のテーブルに着席することができ、真っ白なテーブルクロスのかかった大きな一つの円卓テーブルを囲み、ドングリの木陰に身を浸せながら時間はあっという間に過ぎてゆきました。

私自身はまだニューヨーク在住11年目で昨年から加入した新しいメンバーであり、あまり他の方々とお知り合いではないので、どこかまだ緊張はしておりましたが、他のメンバーの皆様からはそれぞれに、何十年もニューヨークに住んでいる“度胸”と呼ぶのが正しいのか、何か強い芯のようなもの、そして余裕が、ふつふつと感じ取れ、気分も次第に慣れてゆきました。

Brunch/ Lunch Menu をゆっくりと眺めながら私たちの会話は自然と進んでゆきました。代表の尾島巌先生 (39回生) の鮮やかなロイヤルブルーのシャツが、深くなり始めた夏の緑によく映えるのをテーブルの反対側から眺めながら、野村友裕さん (66回生) さんの、地域によってのLogistic違いの話やコロナパンデミック下のミャンマーでのクーデターのエピソード、尾島先生夫妻のヨーロッパ訪問時のエピソード、岡本康夫先生 (43回生) の東京での話など、皆さまの個々に興味深いお話を聞いていると、ブランチが全員分同じタイミングでテーブルに運ばれ、真っ白なテーブルがパンケーキ、エッグベネディクト、チキンガーデンサラダなどでカラフルにあっという間に彩られました。

こうして時間が過ぎてゆくうちに、ふと気付いたのが、私自身がこのような知り合いのグループがアメリカに今までになく、ベテランやメントーに近い存在の誰かをこうして知っているというのは、アメリカで単独で住んでいる私のような者にとってとても心強いという事でした。今まで13年程、このような方々を知らずに生活してきましたが、今になってやっと自分の人生に基盤を築き始めてきた時に湘友会の皆様とお知り合いになれたのはとても良いタイミングだなと感謝をしつつ、卵と白豆のみ入っている自分のブリートを頂きました (素敵なレストランの雰囲気に騙され、あんな似非ブリートをあそこで頼んだのは今日でも後悔のみ残るばかりです)。

30代前半でおそらく一番年少の、15年前の湘南卒業生として、最近の状況を見てみると、やはり海外に長年のスパンで住もうと思う人は周りにはなかなかいなく、特にアメリカに来る傾向はめったにないと思っております。私なりに何年か観察していて、アメリカの移民政策がどのビザの種類であっても以前に比べると格段に厳しくなったという事と、日本の社会の在り方が要因ではないかと推測しています。日本の社会の情勢を見ても、日本の経済が世界の中でどのポジションでどのようなインパクトが近い将来あるのか、日本の国内の経済圏でどのくらい自分がしたいビジネスマーケットが成長する見込みがあるかなど、今はもうグローバル化になってしばらく経ったこの世の中で、デジタル化されたビジネス形態でどこまで自分のしたい事が済んでしまうのか、本当にグローバル化は良い事なのか、ビジネスのローカリゼーションの再検討など、色々と考慮する面があります。しかし、一番コアにあるのは、一人ひとり、人生の中で自分で何がしたいか、日本の内と外でどの様に違いがあるのか、人生の限られた時間でどこまでそれを試してみるかという事かもしれません。

こうしてニューヨークで誰か目上の方を知っているというのは、今後の生活の面でもっと賢く生きてゆく術や教訓を学べ、海外に進出しその現地で生活するにあたって大きな支えになることは間違いありません。何年か前はまさか私自身がこのBryant Park Restaurantで湘南出身の目上の方々とテーブルに着き何かを食べるなど、想像もしていませんでした。
今回、緊張感を持ちながら現地に到着しましたが、ニューヨーク湘友会の先輩方のことを更に知り充実した時間を過ごせ、最後は心地よい気持ちで帰れました。次回また近いうちに先輩方にお会いするのを楽しみにしています。

ヴィヒャルト・杏奈 (83回生)