36回35組 第11回 関西修学旅行 (鳴門・讃岐の旅)

湘友会 (36回35組) 第11回 関西修学旅行 (鳴門・讃岐の旅)
<2024年11月26~28日>

八十路越えの元気な仲間たちが、大下恭子さんの尽力で、14名の参加者を得て今年は2回目を四国は鳴門、讃岐へ旅をしました。高橋敬君は大分県より自車でフェリーを使って今回も参加、富田篤君が初参加、また、米国はNJ州から岡本暁子さんの参加も得て素晴らしい愉快な3日間になりました。大下さんは事前に多くの資料を参加者全員に郵送して呉れました。そして、旅を終えて、今回も俳句愛好者からは旅の句が寄せられています。

新大阪駅に10時半で、大分からの高橋敬君を除いて、全員が予定通り集合し、再会を喜び、駅構内の「美々卯」で昼食をとり、貸切バスで鳴門の渦潮観光へ向かう。

八十路旅雪富士見やり四国路へ  道雄 再会や新大阪の駅小春  萬地郎

鳴門の観潮船での迫力ある観光を期待していたが、天気が荒れ模様とかで営業停止、更に、なんと、明石大橋までもが通行止めになってしまった。この為に当初予定していた淡路島経由で四国へ向かうバス運行は出来なくなり、致し方なくバスは岡山を経由して瀬戸大橋へ大きく迂回して四国に入った。その為に鳴門の宿泊先ホテル「アオアヲナルトリゾート」への到着は大きく遅れてしまった。その間、取り仕切る大下さんは迂回するバスの会社との調整交渉や宿へのアレンジなど、超多忙な体で大車輪。高橋敬君も渋滞に苦労しつつも宿に到着して、ホテル側との交渉などを電話を通じて二人で大童。そして、何とかリゾートホテル風な宿に着いた。初日は結局、移動日となった。

野分来て鳴門の渦へ通せんぼ  展子 冬嵐鳴門の浦に入りやらず  恭子
島々を結ぶ大橋瀬戸秋雨  尚子 頂きを隠す屋島や冬の雨  展子
大時化や瀬戸を迂回の七十里  幹男 瀬戸の島時雨のあいにけぶり立つ  恭子
雨寒く波音高き鳴門かな  道雄 再会の冬の宴に声はずむ  恭子

翌朝、このホテルは海に面して眺望が素晴らしい事を知る。潮騒が目の前の波消しブロックまで押し寄せる部屋のベランダから瀬戸内海の島々の日の出など、それぞれの部屋から,また、朝の食堂の大きな硝子越しに楽しむ。

 

<①②朝の「アオアヲナルトリゾート」にて>
瀬戸内の海の広がる宿や秋  一郎 冬波や羽膨らませ鳥集う  展子
藷甘き鳴門の朝のブッフェかな  幹男 冬日射すおむすび山や瀬戸の海  展子

二日目の天気は良くなり、昨日の予定だった大塚国際美術館へ朝一番に訪ねる。陶板に西洋名画1000余を原寸大に焼き付けて複製し、それらを巨大な近代的な地上2階、地下3階の建物に所蔵、展示している。実は行く前にはそれほど期待はしていなかったのだが、陶板造りの素晴らしい複製画技術と見事な展示に大いに満足した。

いくつかの名画は過去に欧米で実見したが、それら本物とは見分けが付かない。しかも、写真撮影はOK、更に絵に触れても良いとか。本物は時間と共に変色する恐れが多いが、これらの陶板絵は半永久的に変わることなく後世に残る。このプロジェクトを推進した大塚オーミ陶業㈱の開発の発想、実現への推進力には大いに感じ入り、短い時間だったが、速足で巡る事が出来た。

 

<大塚国際美術館にて:③システィーナ大聖堂 ④「ヴィーナスの誕生」触れる輩(注)>
朝寒や陶板絵観に列に入る  尚子 陶板絵で巡る万国冬日なか  道雄
陶板絵触れて冷たし世界旅  牧子 ゲルニカの寒さ今でも世界中  萬地郎
冬なれど世界名画を陶板で  幹男

モナリザもゲルニカも観て冬ぬくし  幹男

大塚国際美術館の見学を終えて、琴平は金比羅山へ向かう。途中、バスの窓からは台形の屋島の横を通過し、大下さんによる源平合戦の話や更に事前に配布された資料から平家物語<先帝身投>の段の講話があった。加えて、実は壇ノ浦に入水された安徳天皇は身代わりで、四国は祖谷渓に生き延びた説など様々な歴史への視点の解説も面白い。大下さんの平家にまつわる話は、この湘友会旅行の醍醐味でもある。
 

<⑤大下さん配布の屋島図面> と <⑥車窓からの讃岐富士>
冬入日目指す浄土へ二位の尼  展子 冬日射すおむすび山や瀬戸の海  展子
冬隣り屋島を見やるバスの旅  幹男 戦果て屋島鎮もり冬日さす  恭子
雪山に幼帝負うて落ちゆきぬ  恭子 語り部は平氏贔屓ぞ小六月  萬地郎

昨日に迂回した道を戻り、金毘羅神社詣の基点となる宿「琴参閣」に到着、荷物を預けて、昼食は参道の讃岐うどんで簡単に済ませた。さすが本場の讃岐だけあって腰のある「うどん」だ。ここ琴平には多くのうどん工場や店があり、ラーメン屋や蕎麦屋はほとんど見なかった。

昼食後は金毘羅宮を訪ねる。金毘羅宮へ徒歩で2名が長い785段の石段を登り、他は宿泊先のマイクロバスで御本宮へ向かった。御本宮で「ご祈禱」を受け身も心清められる。象頭山中腹にある御本宮からは晴れた讃岐平野が一望でき、その中央には讃岐富士を置いて見事な景観だった。

帰路は785段を徒歩で下ることにした。長い石段は銀杏や紅葉に色鮮やか。いくつかの社殿や碑などもあり趣があった。下から365段の大門辺りには「五人百姓」と称して飴を売店があった。店前に立ち止まっていたら、小母さんが、「境内販売を特別に許されている由緒ある店」と解説があり、試供品を舐めさせてもらった。扇型をした透明の飴を叩き割ってその欠片を口にする。上質な甘さだったが叩き割らねば食べられないので、買う事は遠慮した。下山して些か疲れた身体を宿の屋上露天風呂で癒して夕食会に臨んだ。それぞれに金毘羅宮の御利益を得て、厄落としを終えての晩餐だった。私は金丸座を訪ねる事が叶わなかった。

 

<⑦金毘羅宮のお祓い> <⑧金毘羅宮から望む讃岐平野>

 

<金丸座の ⑨外観 と ⑩内部>
琴平のぶっかけうどん時雨月 展子 一碗の讃岐うどんや冬ぬくし  萬地郎
小春日や金刀比羅石段ひた登る 幹男 金毘羅へバスで参詣冬もみじ  道雄
金毘羅へ登る八十路の秋日和 尚子 神官の襟首寒し山の宮  恭子
金刀比羅宮頭並べて厄落とし 牧子 か細きに神人(じにん)かしわ手音冴ゆる  恭子
金丸座は江戸の情緒や片時雨 道雄 金丸座の升席無人片時雨  展子

三日目はチェックアウトし、空海の誕生した善通寺へ向かう途中の満濃池へ立寄る。この池は空海が1200年前に考案したとされる日本最大級の貯水量の灌漑池で「世界かんがい施設遺産」に選出されている。池畔にはその旨の碑があったが、我々以外に訪ねる人は見えなかった。

善通寺は空海が誕生した誕生院(西院)と、唐から帰国した弘法大師が佐伯家菩提のため6年の歳月をかけて建てた伽藍(東院)から成る。東院は、長安の青龍寺を模して善通寺を建立し真言密教の道場とした。西院の御影堂地下の「戒壇めぐり」は暗闇の中を壁に触る左手を頼りに5分ほど歩き進み、<お誕生の聖地>の真下の仄明かりでお大師様の諭が聴けるようになっていた。その他にも、五重塔、二本の古い楠木、五百羅漢像など見どころは多かった。高橋敬さんはここで別れ、自車で大分に向かった。

 

<⑪満濃池にて> <⑫善通寺境内>
冬日差し満濃池を鏡面に  展子 空海の池の水鳥みな閑か  萬地郎
冬空へ大楠の二樹とこしなえ  展子 壁伝う弓手冷たし真の闇  幹男
冬闇の遍昭金剛天界に  恭子 合唱し冷たき手と手壁伝う  恭子

次に向かった丸亀市の中津万象園は1688年の京極二代目藩主により築庭された。京極家の先祖の近江八景を象っている。特に多くの矮松で見事な回遊式な大名庭園を成している。庭を配して新婚さんが前撮りをしていた。

昼食はその庭園の一画の味処で楽しむ。一緒の会食はこれが最後となる。

 

<中津 万象園にて:⑬庭の一景 と ⑭千代の傘松>
松青く万象の湖風冴える  道雄 如何にせむ大傘松の手入れなど  萬地郎

昼食後、バスは瀬戸大橋を通過して岡山駅に直行し、そこで解散し、愉快な旅を終えた。

 

<瀬戸大橋より ⑮⑯二景>
雨上がりヤコブの階段冬の瀬戸  展子 時化海の凪たる帰途の瀬戸大橋  幹男
冬うらら何ごともなし瀬戸の海  恭子 冬晴れや遠く近くに瀬戸の島  萬地郎

愉快な旅を、そして、資料を用意した大下さんへ感謝。このレポートへのみなさんからの俳句、更に工藤さんからの写真などのご協力にて作成しました。

内藤 洋治 (36回生)