■第123回湘友会セミナーが開催されました。
日時: 2026年3月21日(土)14時~16時
場所: 湘南高校歴史館スタジオ
テーマ: 講談「燃える剣先 鯉沼眞理子オリンピックへの道」
講師: 講談師 藤瀬 琴龍
2023年6月の講談「秀麗の富士物語 赤城愛太郎校長一代記」に続き、湘南高校の歴史シリーズ第二弾として1976年モントリオールオリンピック女子フェンシング日本代表の鯉沼眞理子さん
当日は歴史館スタジオが満員となる大盛況で講師の熱演もあり大変な盛り上がりを見せました。
■セミナーの講演概要
琴龍師匠は前回講演時の真っ赤な着物・羽織姿とは対照的な濃紺の着物・羽織姿で登壇されました。
「時はいつなんめりかな1976年、モントリオールオリンピックに女子フェンシングの代表として見事に出場を果たし、日本の女子フェンシング界の道を切り開いた鯉沼眞理子選手。……」に始まって、鯉沼眞理子さんの誕生から小学校、中学校と辿っていきます。成績は抜群だったが運動神経は普通もしくはそれ以下といったエピソードも披露されました。
湘南高校入学そしてフェンシング部入部 (剣を左手で握ったところ勧誘する先輩から左利きはフェンシングに絶対有利との話を聞き、入部を決意)。フェンシング人生がいよいよ始まりました。フェンシングは未知のスポーツでしたが剣を握った瞬間に何か強烈にひきつけるものがありました。湘南高校フェンシング部は2021年に創部70周年を迎えた大変伝統のある運動部であります。入部はしたものの練習のキツイ事!キツイ事!それでもじっと耐えて1年生の2月の新人戦で見事準優勝し頭角を現してきました。在学中の最も強烈な思い出は1969年インターハイでのベスト4をかけた四天王寺高校との死闘 (ここで対戦の模様をフェンシング用語を駆使して実況中継)。結果は1対4から追い上げたものの4対5で惜敗。四天王寺は団体優勝。
フェンシングに明け暮れた高校生活でしたが3年生の11月から猛勉強に次ぐ猛勉強で名門東京薬科大学に無事現役合格。大学進学後も高校時代から通っていた「東京フェンシングスクール」で日本フェンシング界の「中興の祖」と言われた飯田雄久氏に直接師事を受ける。恩師からの言葉で基本に立ち返り、日々猛練習に励みジュニアフルーレ杯で三連覇!国体では三回の優勝を飾っています。残る目標は全日本フェンシング大会で優勝し、名実ともに女子フェンシング界の日本一になること。しかし第25回・第26回大会と惜しくも第二位、そして迎えた第27回大会 (ここで再び実況中継) は一旦勝利を収め飛び上がって喜んだものの相手側からの「自分の剣の電気の故障」の申し出で判定がひっくり返り、またしても第二位。茫然自失の日々を過ごす。一旦はフェンシングを辞めるとまで思いつめたが、頭をめぐるのはフェンシングのことばかりで再び挑戦を決意しました。1975年度の第28回大会に四度目の挑戦。下馬評を覆し、大混戦の優勝決定戦を勝ち抜き、最終的に優勝。この優勝が元となり、1976年モントリオールオリンピック女子フェンシングフルーレの代表に決定しました。女子フェンシング界で初めて海外オリンピックで戦ったパイオニアであります。
彼女のフェンシング人生はオリンピック出場後もなお続き、国体では2回も準優勝しています。また、結婚後も全日本で第四位、国体で準優勝と素晴らしい結果を残しています。しかもお子さんを妊娠している時期でした。そして極めつけは2008年55歳の時、神奈川オープンで優勝を飾っています。現在も湘南フェンシング部のコーチ、OB会湘騎会での活動などフェンシングへの情熱はいささかも衰えていません。
最後に鯉沼眞理子選手のオリンピック出場を記念して講談では大変有名な1964年の「東京オリンピック入場行進」ラスト94ヵ国の国名を読み上げ、大喝采の内に読み切りとなりました。
講演終了後、参加者から活発な質問等があり、藤瀬さんと鯉沼さんのお二方にご対応いただきました。講師からは講談は歴史が題材なので、生存中の方を扱うのはおそらく事例がないとの説明がありました。また、鯉沼さんからはこの講談は4回目ですが、今日が最高の出来でしたとの感想をいただきました。
尚、当日特別ゲストして藤巻惣之助さん (元神奈川県フェンシング協会会長、1960年ローマオリンピック男子フェンシング代表)、福田るり子さん (三重県フェンシング協会理事長)、川添博幸さん (通16回生、モントリオール・モスクワ・ロサンゼルスオリンピックの近代5種代表) の三名の方に参加いただき、ご挨拶もいただきました。


