湘友会(36回生) 第14回関西修学旅行(比叡山・湖南三山・油日神社・多賀大社・彦根城)

「2026年3月の修学旅行:
湘友会36 35 ~比叡山・湖南三山・油日神社・多賀大社・彦根城~

七回目の午年を大半が迎えた昭和36年卒業の仲間同士が、関西の同輩歴女、大下さんのきめの細かい企画でニッチな旅が出来ました。

残雪の光る伊吹や京近し      幹男
駿河路や車窓はみ出す春の富士   萬地郎
仁和寺に春呼ぶ屋根の美しき    展子
金髪の自撮りや背ナの梅紅し    萬地郎

今回のこの修学旅行も京都駅八条口のバス乗降場に集合し、待っていたバスに乗り込む。以前と同じコスモ観光の高橋運転手で、気心知れた楽しい旅がスタートした。

この日の観光は比叡山。京都の街を抜けて北上し、奥比叡ドライブウェイのレストランで眼下に琵琶湖を望みながら昼食を摂る。その駐車場には伝教大師の大きな尊像が立っている。

比叡山は大きく三塔の地域に分けられ、これらを総称して比叡山延暦寺と称する。バスは先ず、その一つ西塔駐車場に停まり、そこから徒歩にて杉木立に囲まれた道を歩いた。

「弁慶のにない堂」とも云われる、常行堂・法華堂や釈迦堂などを巡れば、いずれも朱色の建物が緑の杉木立に映える。石段もあり齢を考えると些か難行と感じるが、しっかり手すりに捕まって下る場面もあった。

<比叡山へ>

鳥雲る琵琶湖眼下にランチかな    千恵麿
九年前に訪ねし御神神社みやや遠霞   幹男
春霞む比叡の山を訪ねゆく     玲
八ツ橋に元祖と本家山笑う     萬地郎

奥まった処に伝教大師の御廟とそれを守る浄土院が静かな佇まいの中にあった。「十二年籠山行」と言われる厳しい行に臨む僧は「侍眞」と言われ、ご廟を守り、一生山を降りない覚悟で昼夜を分かたず、厳しい戒律のもとに心身を清浄にして、生身の大師に仕えるように、今も霊前のお給仕に明け暮れし、その行は「そうじ地獄」とも云われているようだ。浄土院の裏に御廟はあり、常香盤から香煙を流している。

バスで移動して、東塔地域を歩く。大講堂の内部には比叡山で修業した、法然、親鸞、日蓮、道元など多くの宗祖の像や肖像画が見られた。根本中堂は現在も修復中だったが、内部を見学できるコースもあり、その大事業の一端を見る事が出来た。内部見学を終えて、1200年燃え続けている法灯を別棟の文殊院で見る事が出来た。その後、元気ある4人は坂を、そして、石段を登り切って阿弥陀堂・東塔へたどり着き、そこからは霞んだ琵琶湖も望むことも出来た。戻って、国宝殿を見学しバスに戻り、この日の比叡山観光を終わった。


(弁慶の担い堂を背景に)

(東塔の阿弥陀堂と東塔)

<比叡山にて>

三月や御堂の影に息をのむ     玲
春愁や比叡東塔迷い道       洋義
法灯の火のほのぼのと春浅し     道雄
鐘強く撞けば比叡の春うごく    萬地郎
山内に古刹数多や春落ち葉     道雄
出家秘め比叡へ上る睦月の夜    恭子
栴檀の花憶えたり京の旅      幹男
護摩焚きの炎の揺れや比良八荒   幹男
静かなる白砂ろう梅浄土院     牧子
僧兵の奔り下るや春の京      恭子
弁慶も浴びる比叡の花吹雪      恭子
釈迦如来右手は天に花祭り     尚子
釈迦堂を見下ろす春のにない堂   展子
登り来て塔の下界に霞む湖     道雄
春なれど未だ修復の延暦寺     萬地郎
「一隅を照らす」比叡や風光る   萬地郎

夕食は京都八条口都ホテルの中華を楽しんだ。

残念な事に、大下さんと共に丁寧に旅を作った田中君は、無念にも出発前からの体調不良で急遽帰宅する事になった。

春の旅途中無念のリタイアー    幹男
バス席の一人いちにんを欠く春の旅    恭子

空模様が朝からはっきりしない。昨日とおなじバスで湖南三山、長寿寺、常楽寺、善水寺、さらに、油日神社を巡る。バスの中では大下さんの予め資料を用意された今昔物語の講話を聴く。これまでの平家物語の話とは異なり、この時代の武士発祥の理に触れるような話だった。武具などの資料もあって、丁寧な解説が有難い。

乳母子と手を取り合って義仲忌    恭子
西行忌心と桜たてまつる      恭子
早春のバスに歴女の声はずむ    千恵麿
西行忌心と桜たてまつる      恭子

長寿寺は 9年前にも尋ねた寺で、当時の案内をされた坊守さんから今回も楽しく寺をに纏わるお話を聴くことが出来た。この寺の本堂は国宝、その堂内には中央に本尊の子安地蔵菩薩(厨子内)、その左右には重要文化財に指定されている釈迦如来と阿弥陀如来などが居並ぶ。講話の後、裏の新しい堂には丈六の阿弥陀如来像が祀られている。1200年以上の歴史をもつこの寺は信長の手により楼門や三重塔は移築され、主な建物を失った。


(国宝の長寿寺の本堂)

(長寿寺:丈六の阿弥陀如来像の新しい堂にて)

<長寿寺にて>

春浅き友とたずねし古刹かな    照子
長寿寺の説法つづく春うらら   尚子
本尊は子安地蔵や雛の日     萬地郎
丈六の弥陀の安座や春の雨    萬地郎

次に向かった常楽寺は閉門されて中へは入れなかった。この寺も1200年以上の歴史を有する寺。境内の中には三重の塔が垣間見えた。この日の昼食は郷土料理の「やまりゅう」だった。

次は善水寺を訪ねた。この寺も本堂は国宝に指定されている。檜皮葺の屋根替えを終えたばかりで、雨の中でも真新しく色鮮やかに映える。住職のお話を拝聴すれば、秘仏本尊は薬師如来、その脇仏も多く、更に戒壇の裏側にも何体もの仏さんが置かれていた。そのいくつかが「旧国宝」と紙片が貼られていた。住職はとても忙しそうで次の祈祷へ走って行かれたので、その意味を知ることはできなかった。本堂横の池の畔には善水元水があり、これを口にすればご利益があるとか云われている。


(善水寺の境内)

(善水寺 新しく屋根が葺き替えられた本堂)

<善水寺にて>

国宝の檜皮光るや春時雨     道雄
春なれや薬師如来の善水みずを享け  洋義
春雨やゆかしく光る檜皮屋根   玲
仏笑むミモザ輝く堂暗し     恭子

次の訪問は甲賀の総社、油日神社へ向かう。小田原出身の宮司が土砂降りの中、丁寧に油日神社の境内や甲賀歴史民俗資料館の文化財を説明された。油日大神は万有始動の根元神として繁栄の大本といわれ、楼門には酒樽ならぬ油の缶が積まれている。多くの食用油会社などの参拝が伺える。拝殿を囲むような東西の廻廊では、甲賀の様々な決め事が談じられた。どの屋根も檜皮葺だが、古落葉も載って些かうらぶれた感じ。宮司が長い参道を駐車場まで来て、バスが発つまで見送ってくれた。


(油日神社の楼門)

(油日神社の廻廊)

<油日神社にて>

平和乞う油日詣春時雨       洋義
春雨や同郷宮司の声弾む      牧子
油日神社の宮司の話春の雨     展子
屋根替は無理とや宮司ぼそと云う  萬地郎

この日の夕食も京都八条口都ホテルで洋食バイキングを楽しんだ。

京都のホテルVIAをチェックアウトし、荷物をバスに積み込み、雨も小降りへ向かっている、そんな中を湖東の多賀大社へ向かう。

古くから「お多賀さん」の名で親しまれる滋賀県第一の大社で、伊邪那岐大神いざなぎのおおかみと伊邪那美大神いざなみのおおかみをご祭神としている。

『日本最古の書物「古事記」によると、この二柱の大神は神代の昔に、初めて夫婦の道を始められ、日本の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万やおよろずの神々をお産みになられた。生命いのちの親神様であることから、古く「延命長寿・縁結び・厄除け」の神様として信仰を集め、鎌倉時代から江戸時代にかけては、武家や民衆にも信仰が広まり、多賀大社の分祀社は全国239社を数えます。』と解説がある。

秀吉所縁の太閤橋を過ぎて広々とした境内に入れば、ようやく雨も上がる。中央の社殿は緑の森を背景に、左右の回廊が翼にように広がる。巫女が回廊を走り、社殿では若い二人が御祈祷を受けている。

奥書院に入り庭園を眺め、見事な襖絵などを眺めながら巡った。その廊下には今の多くの有名人たちの板額が並んでした。社務所では、故事に因んで、「お多賀杓子」などのお守りが売られていた。


(多賀大社)

(多賀大社にて)

<多賀大社にて>

春兆す神話の里のお多賀さん   玲
梅咲くや長寿願うはお多賀さん  道雄
大神のおわすやしろや春の朝     照子
早春の大社を囲む杉木立     展子

雨もすっかり上がった大社を後に彦根城へ向かう。
結構な坂道を登って城に至ったが、健脚の何人かは更にその天守閣まで上り詰めたようだ。城を下って大名庭園である玄宮園を散策した。水不足が続いたために池の水位が低い所もあったが、見どころは多い。更に、彦根城・屋形船に乗る。井伊の殿もこうした屋形船を使ったと云う。お濠を巡りながら、城門への低い橋を抜ける時は船頭が腰を屈めながら、橋桁の間を上手に潜って進める。船頭が彦根城の歴史などを語って楽しい小一時間だった。


(彦根城 3景:城内より)

(彦根城 3景:玄宮園より)

(彦根城 3景:屋形船より)

<彦根城にて>

春北風はるきたや隙間の広き城櫓     洋義
春のうみ 彦根の城の天守から    玲
雛道具井伊家の姫のあどけなし  尚子
風光るそびゆる天守彦根城    照子
テープ音と能面春の彦根城    展子
城垣の手入れ庭師のいのち綱   展子
城巡る船頭小唄や水温む     道雄
のどけしや殿も巡りし屋形船   萬地郎

彦根城濠端の彦根キャッスルホテルで昼食を摂り、バスに戻り、帰りの新幹線に乗り込む米原駅に向かった。バスの運転手は全コース同じで、運転だけでなく、すっかり打ち解けて案内なども良かった。米原駅では秋の再会を期しながら、大下・高橋の両名を残して、関東組は上り新幹線に乗り込んだ。

内藤 洋治 (36回生)