恩師石川一成先生三十三回忌追善 36回34組クラス会が開催されました

湘南高校36回34組の恩師石川一成先生の三十三回忌追善クラス会は10月1日(土) 午後4時同窓22名の参加を得て藤沢市鵠沼花沢町の「若狭」にて開催されました。

クラス会に先立ち大庭台霊園に墓参を行い 「流動を深きところに蔵(かく)しゐる 坂東太郎を思ひて眠る」 が刻まれている墓前に香華を手向け32年の歳月に思いを馳せました。

クラス会は石川恭子恩師夫人をお招きし、前の湘友会会長であった田辺克彦君の乾杯の音頭で始まり 参加者各々が在学中のみならず卒業後もお世話になった思い出話やエピソードを語りあい、宴たけなわには恒例の如く「校歌」「青春の歌」をそして今は歌われていないと云う「五丈原頭」を唄い 又の再会を約し散会したが心温まる穏やかな集いでありました。

石川一成先生は湘南歴史館の湘南大樹の一葉に述べられている様に湘南高校に昭和29年~昭和47年母校湘南高校の国語科の先生 (教諭) でした。

先生は私達より13歳年上の昭和4年の利根川海運の中心地であった千葉県佐原でお育ちになり東京文理大漢文科のご卒業です。
先生の漢詩の朗読には聴く生徒をして思わず聴き入ってしまう様な魅力が有りました。

歌人としての石川先生は佐佐木信綱に師事し早くから「心の花」に入会し後に編集委員として多くの歌を詠まれ、同誌 (同会) の代表的な歌人として活躍されました。
湘南高校の後神奈川県教育センター国語研究室を経て日中国交間もない中国四川省重慶の四川外語学院にて2年間日本人としてはじめて日本語教師を務めました。

帰国後教職に復帰され県立厚木高校の教頭であった昭和59年10月23日夜飲酒運転のトラックにはねられ急逝されました。行年55歳でした。早すぎる恩師の遭難 私達教え子にとって無念の極みでした。

私達が湘南高校24組、34組の青春を過ごした昭和34年、35年そして卒業の昭和36年、先生は30歳を過ぎたばかりであったのに、私達教え子ひとりひとりに向き合いお声を掛けて頂いた一言を卒業55年、没後30有余年を過ぎた今をして語り会える事が出来る幸せを有り難く感謝致した宵となりました。