市瀬先生の「三十三回忌」に、多くの教え子たちが───

ようやく秋らしくなった十月七日、鎌倉・補陀洛(ふだらく)寺で市瀬正毅(いちのせ まさたけ)先生の三十三回忌法要が営まれた。生物担当の教師であった先生は、野球部が昭和二十四年、夏の甲子園で全国制覇を成し遂げた時は、部長を務めておられた。

昭和五十五年にお亡くなりになると、教え子により補陀洛寺に記念碑が建てられ、そのあと途切れることなく毎年「市瀬忌」が執り行われてきたのであった。中心となったのは、先生のご担任であった27回生、30回生、33回生、36回生の教え子たちである。最後の法要となる今年は、野球部の優勝メンバーも顔を揃え出席者は68名の多きを数えた。(上の写真は夏の甲子園・全国優勝メンバー)

寺で黒澤全紹君(30回生。春の選抜で甲子園出場時のマネージャー。先ごろ京都の名刹・大覚寺の管長に就任)が導師となっての法要が終ると、内海恒雄君(31回生)による「補陀洛寺と頼朝」の講話があり、懇親会に移った。

亡き恩師と教え子たちの心の触れあいが、四半世紀の歳月を超えて続けられてきた……湘南ならではの「佳話」といっていい。

「最後の市瀬忌」の模様は翌朝、朝日新聞、毎日新聞でも伝えられた。