>>>第6回インド湘友会報告!!!<<<

今回も冒頭コロナの話題で恐縮ですが、日本ではコロナの第三波が襲来しております。但し、国によってはコロナワクチンが承認され、インドでも (公表数値上は) 感染が収まりつつある等、明るい兆しも見えてきております。湘友会会員皆様もご無事にお過ごしでしょうか。

12月13日(日)、第6回インド湘友会をWeb形式にて開催しました。

今回の参加者は、レギュラー4名 (小方会長、佐藤応援団長、霜田会員発掘隊長、そして広報部長こと小生、川野) に加え、力強くまた新たに1名増員が果たされた。宇佐美紘一さん、83回生、ブラウン、大道具。宇佐美はインドがコロナ真っ只中だった10月にインドのデリーに単身赴任、時節柄当然の如く在宅勤務を余儀無くされ、只でさえ知合い他地縁性の無い場所の上、更に在宅勤務により職場関係者とのコミュニケーションにも大きな制限が課されると言う、察するに恐らく可也孤立感を感じる環境だったであろう事もあってか、佐藤団長が2019年4月着任時より地道に投稿を継続して苦節1年半超、インドでの日本人向けのフリーペーパー月刊Chaloでのインド湘友会会員募集欄が宇佐美の目に留まり、遂に初めてChaloの募集欄が陽の目を浴び、Chalo経由でインド湘友会会員を増やすに至った。

インド湘友会での宇佐美の肩書は、彼の職業等も勘案して、外交班長となった。コロナ禍での行動制約をもろともせず、日本での会員発掘は引続き霜田会員発掘隊長が担うが、宇佐美班長に於いてはインドでの会員発掘他各種外交関連任務にあたって貰う事となった。
今回も乾杯時の様子をスクリーンショットに収めたが、そちらは添付の通り。

因みに、10月の第5回インド湘友会から僅か2か月にも関わらず今回また第6回インド湘友会を開催した背景としては、上記宇佐美班長の新規加入に加え、11月に小方会長がインドに戻った点も忘れてはならない。

会長は11月下旬にデリーの南隣の日本人の多いグルガオンにまずは戻った。しかし12月初旬にはそこから新工場のある西インドのグジャラート州メサナ(Mehsana)に更に移動する必要があった。一般的な日本人には凡そ知られていないであろうグジャラート州 (故マハトマ・ガンディーや現モディ首相の出身州ではあるが)、その中でも日本人のインド駐在員ですら凡そ知らないであろうメサナに赴いて新工場立上の任にあたる事となった会長、そんな会長を囲んでインド湘友会を開催しない訳にはいかない、と言う背景も今回重なった。

グジャラート州の最大都市は人口約6百万人のアーメダバードと言って、こことムンバイを結ぶインド新幹線の話題により、アーメダバードの名前は日本人にもインドの諸都市の中では多少馴染みはあるかもしれない。小生もアーメダバードには飛行機で行った事はあり、そこから車で南に4時間(170km)、カンバト湾沿いの塩田等も眺めながら、バーオナガル(Bhavnagar)と言う小生出向先の同僚の地元の都市に、彼の結婚式に出席する為に赴いた事はあった。
しかしこのメサナの名前は初めて耳にした。てっきり会長は飛行機でアーメダバードに行き、そこから車で北に約2時間(75km)、と言う行程を組んだものと思っていたが、何とグルガオンから南西に延々と車で15時間(800km超)、『世界の街道をゆく』宜しくメサナに移動した、との事。理由としては、コロナを勘案しドライバーもメイドもより安心な従前の専属者にすべきと判断した為、との事だった。従って今回のドライバーとメイドはある意味“出稼ぎ”の様な形でグルガオンから会長と道中を共にし、そして現在メサナでは一つ屋根の下で (部屋は勿論別々) 会長と寝食を共にしている。

会長にメサナの話を伺ってみると、案の定娯楽的な施設は何も無い、との事。ゴルフコースも身近には無く、そしてグジャラート州はインドではdry state(禁酒州) となっており、アルコールの入手も厳しく制限されている。その様な環境下での“娯楽”的なものとして会長からは、星が見えるよ、とのコメントがあった。デリーやグルガオンでは顕著な大気汚染により、月は辛うじて見えるものの、星は皆目見当たらなかった。それがメサナでは見える、との事。

コロナ以上に厳しい環境に会長が身を投じている様に小生には感じられてしまったが、会長に於かれては心身共に健康を維持しつつメサナでお過ごし頂きたいと願った。

今回はこの様な大きな2つのトピックに花を咲かせて、あっと言う間に時間が過ぎ、年が明けたらまたやろうと確認しつつ会を締める事とした。

2020年はコロナ抜きには語れない年となりましたが、冒頭記載の通りワクチンの登場他ポジティブな話題・傾向も出てきております。2021年はインドは勿論、日本並びに世界にとってきっと大きな飛躍の年になるでしょう!
尚、小生も2月頃にインドに戻る予定です。

文責・川野 (68回生)