森戸努先生は、1977年に湘南高校に新任で赴任され、1990年までの13年間数学の授業と吹奏楽部の顧問を担当されました。昨年の9月に古希を迎えられ70歳のうちにということで、当初この吹奏楽部のOB・OGを対象とした「数学と音楽」についての授業は8月31日に予定されていたのですが、台風10号の影響で延期となり10月5日に湘南高校歴史館のスタジオで行われました。当日参加した受講者は46回生~76回生の25名、8月に参加を予定していて10月には参加できなかった8名にも後日テキストが送られることになりましたので、のべ33名が参加したことになります。
当日は授業開始の1時間前に到着した方や初めて歴史館を訪れた方も多く、授業開始前から歴史館見学と人によっては高校卒業以来、数十年ぶりの再会で盛り上がっていました。
授業のテーマは『数学の中にひそむ音楽 ~素数の美しい調べ♪に乗って~』。先生は2冊の数学書を上梓されていますが、当日配付されたテキストも、正\(17\)角形の対角線を赤・青・緑の3色で塗り分けた美しい図が表紙にあしらわれた本編が表紙を含めて30ページ、別冊の【数学名言集と主な問題の解答と解説】が10ページの力作です。
授業は、論理的な数学と感性で楽しむ音楽は全く違っているようでその底流の深いところで繋がっているという意味で、「数学と音楽は似ている」、数学には「考える力」と同等に情緒、言い換えれば「感じる力」が大事であり、数学の世界にも音楽的な美しさに相当する何かがひそんでいる、というお話から始まりました。その後、何と先生ご自身のクラリネットによるモーツァルト、ブラームス、バッハの楽曲の生演奏を交えて、レピュニット数、回文素数、レイランド素数、シェエラザード数、フェルマー素数と正\(n\)角形の作図、巡回数、フィボナッチ数列と音楽の構造に表れている黄金比、などの多岐にわたるご説明があったのですが、詳細は 別紙\(A\) をご覧ください。
最後に先生が本当に伝えたいこととして、「論理イコール流れという視点から見ると、21世紀は、『数学(仮定から結論に至る流れ)と音楽(1つのフレーズの流れ)は似ている』のではなく、同化していく時代だと思える。論理や技術は感性の力を借り、感性は論理や技術の力を借りて、お互いに相手をより自由な世界へと解放し、育て合う。」というお話がありました。
そして、「片足は墓穴にありて、われは立つ」というバッハのカンタータ第156番「アリオーソ」のクラリネット演奏で授業は締めくくられました。もちろん可能な限り、もう一本の足は墓穴に入れないように天に祈るので皆さんもご自愛ください、とのお話でしたが。
今回、先生は数学の授業なのか、音楽の授業なのかわからない、「学際」型の授業を試みられたとのことですが、クラリネットの生演奏を交えたチャレンジングな授業に参加して、失礼ながらとても古希を過ぎていらっしゃるとは思えないパワーと情熱を感じ、あっという間の2時間でした。数学が好き、音楽が好き、そして教えるのが好きという先生のことですから、また次の機会があるのではないかと、つい期待してしまいます。
授業の後に藤沢駅近くのイタリア料理店を貸し切り、こちらも3時間に及ぶ懇親会を行いました。この手の集まりは、あっという間に数十年のときを超えて昔の先生と生徒、先輩・同期・後輩に戻れること、また年の離れた先輩・後輩でも話ができることが良いところですね。先生そして皆さん、また、機会を見つけてお会いできますように…。
授業のテーマは『数学の中にひそむ音楽 ~素数の美しい調べ♪に乗って~』。先生は2冊の数学書(『素数よ綺羅、星☆のごとく ~Prime Numbers for Beginners~』と『わが麗しの微分積分 ~my beautiful calculus~ 』)を上梓されていますので、やはり音楽愛に加えて素数愛、数学愛も相当なものであることが拝察されます。
授業は、論理的な数学と感性で楽しむ音楽は全く違っているようでその底流の深いところで繋がっているという意味で、「数学と音楽は似ている」、数学には「考える力」と同等に情緒、言い換えれば「感じる力」が大事であり、数学の世界にも音楽的な美しさに相当する何かがひそんでいる、というお話から始まりました。その次に、まず音楽の数学的分析とも思えるメロディーとシンメトリー(対称性)の関係をシンメトリーの一種の反復の観点で、モーツァルトの交響曲第40番第1楽章冒頭の有名なメロディーを題材に、何とクラリネットの生演奏を交えて説明されます。続いてブラームスの交響曲第1番第4楽章の第1主題も演奏され、バーンスタインの「よいメロディーは美しいカーブをえがき、緊張と弛緩につれて上昇し、下降する。この主題のカーブの美しさは格別だ」という言葉が出てきます。モーツァルトの楽譜を見ると本当に上昇・下降のカーブが見て取れます。3つの対称性(鏡映、並進、回転)の話に続いて、鏡映対称性と音楽の結びつきの例としてバッハの「14のカノンNo.5」の一部である4小節の楽譜とクラリネット演奏によるご説明がありました。
ここからいよいよ数学の授業らしくなり、並進対称性の例としてレピュニット数(\(11\), \(111\), \(111\), \(1111\), \(1111\),……)、鏡映対称性の例として回文素数(\(4554\), \(12821\), \(357753\) など)、特に \(12821\) にまつわるエピソード(リオ五輪の日本の獲得メダル数は金12、銀8、銅21で \(12+8+21=41\) は6個あるオイラーの幸運数のうちの最大のもの、など)、レイランド素数(\(p^q+q^p\) が素数となるもの)の中で \(p\)、\(q\) がともに素数となるのは \(3^2+2^3=17\) しかないが \(17\) はプロ野球の大谷の背番号(笑)、シェエラザード数(『千一夜物語』にちなんで回文数である \(1001\) をそう呼ぶ)が醸し出す美しさへと続きます。
さらに、「素数\(p\)に対して、正\(p\)角形がコンパスと定規だけで作図できるための必要十分条件は \(p\) がフェルマー素数であること」、だから正\(7\)角形はコンパスと定規だけで作図できないが、正\(17\)角形は\(2^{2^{2}}+1=17\)なので作図できるということ、\(n\)角形の対角線の数は\({}_n \mathrm{ C }_2-n\)、\(\frac{1}{7}\)を小数に直した循環小数の循環節は一定の周期(リズム)を作って並進対称性を形づくり巡回数(ダイヤル数)としては回転対称性を持つこと、フィボナッチ数列は最も美しい螺旋を生み出し黄金数、黄金比につながり、今度は「音楽の中にひそむ数学」の視点に戻りバルトークの「弦楽器・打楽器とチェレスタのための音楽」の構造はフィボナッチ数列で黄金比に分割できること、の説明がありました。そして、現代数学において無限級数に関する議論に貢献したグランディーやヴォルフ、一方で現代音楽において調性を壊す音楽を作曲したストラヴィンスキーの「春の祭典」の無限観にも言及がありました。
テキストの記述はとても2時間の授業では終わらないボリュームですが、時間の制約もあり、最後に先生が本当に伝えたいことのお話がありました。
- 音楽とは極めて論理的な人間の精神活動が生み出したもの(始まり・中間・終わりを持ち内容・色・主張が込められた一つのストーリーを持つユニットであり、一つの一貫した論理または印象である)で、そこにはそれを感じ取る情緒が伴う。
- 音楽の流れが論理的となるためには何らかの人間味、人間性、自然性が必要で、そうでなければ生き生きとした音楽にはならないのではないか。
- そのような論理イコール流れという視点から見ると、21世紀は「数学(仮定から結論に至る流れ)と音楽(1つのフレーズの流れ)は似ている」のではなく、同化していく時代だと思える。論理や技術は感性の力を借り、感性は論理や技術の力を借りて、お互いに相手をより自由な世界へと解放し、育て合う。
そして、「片足は墓穴にありて、われは立つ」という驚きの題名を持つバッハのカンタータ第\(156\)番「アリオーソ」のクラリネット演奏で授業は締めくくられました。もちろん可能な限り、もう一本の足は墓穴に入れないように天に祈るので皆さんもご自愛くださいとのことでしたが。バッハには縁がおありで、先生の吹奏楽部顧問の13年間は、着任当時の\(1977\)年4月に初めて吹奏楽部の練習を聴かれた際のバッハの「幻想曲ト長調\(BMV.572\)」で始まり、\(1990\)年4月の離任式の後に最後の指揮をされたバッハの教会カンタータ\(BMW.147\)より「主よ、人の望みの喜びよ」で終わったとのことでした。