第56回湘友会セミナー報告

・日 時: 平成29年8月12日 (土) 13時半~15時
・場 所: 湘南高校 多目的ホール
・テーマ: Jリーグ設立とは何だったのか?
~銀行勤務から(後先考えず)Jリーグに転職してしまった男が体験したカオス~
・講 師: 篠塚 毅氏 (54回生、サッカー部OB、株式会社エス・ティ・エンタープライズ代表取締役)
・協 力: サッカー部OB会

【講師プロフィール】
54回生 篠塚 毅 (シノヅカ ツヨシ) 1960年生まれ、サッカー部主将
(県新人戦3位、インターハイ県予選3位、全国高校選手権県予選準決勝敗退)
1984年 三和銀行 (現三菱東京UFJ銀行) 入行
(国内2支店を経て、米国・ニューヨーク勤務)
1992年 社団法人 (現公益社団法人) 日本プロサッカーリーグ (Jリーグ) 入社
(初代事業部長として放送権、協賛権、商品化権の企画・販売を担当)
1996年 株式会社エス・ティ・エンタープライズ 代表取締役
(Jリーグクラブ=VF甲府・S鳥栖・大宮A=の経営アドバイザー、2002日韓W杯キャンプ誘致活動、ラグビートップリーグ設立、バスケットJBL設立等に従事)

【内容要旨】
Jリーグ事務局に在籍したのは、4年2ケ月であった。1992年2月、31歳の時、Jリーグの開幕の1年2ケ月前事務局に転職した。銀行では海外勤務のエリート社員だったが、サッカーに貢献するチャンスはJリーグ立ち上げの今だと決意した。

ところが、プライドを持って行った先は、わずか4人の事務局員の小さな所帯。日本リーグ終了時には数名が合流するとはいえ、これでプロスポーツが運営できるかと心配になった。しかも職員は、サッカー選手上がりばかり。サッカー選手としての評価が最初にありきで大きくカルチャーが異なった。仕事は議事録づくりなどが大半で、夢見た内容とは違い、最初の挫折に直面する。

仕事を継続するうちにいくつか、今までの自分になかったものに気づかされる。選手たちの目的意識は、未来のサッカーを自分が背負うという高いレベルであった。三浦知良選手は常に「子供たちの夢をかなえる」と発言し、お金のためだけにやっているわけではなかった。

この組織では銀行と異なる仕事のやり方が求められた。「失敗はするもので、失敗してどうするかが面白い」といったやり方で、仕事を進める同僚がいた。ベンチャービジネスの経験者で、新規ビジネスを立ち上げるためには、自身の判断で物事を進める方法論を持ち、どんどん仕事を進めていった。また、当時から川渕三郎氏のワンマン経営で、朝令暮改的な事例が頻発していたことは外部でも知られていたが、こうした事にも、柔軟に対応しフォローするやり方を学んだ。

Jリーグの構想は、開始の数年前から温められており、表舞台にはでてきていないが、長沼健日本サッカー協会会長(当時)らが積み重ねてきたものを、小倉純二氏(現最高顧問)らが黒子に徹しながら進めていた。最後に、川渕三郎氏が表に立ってJリーグの発足当時は成功に導いた。その構想は、プロリーグの創設、W杯を誘致しスタジアム建設を促進する、totoを開始し建設資金をバックアップするという3つの要素からなるものであった。

Jリーグの開幕時点で、事業部長となった。そして、Jリーグ開幕2年目に最大級の危機がスタジアムの問題として現れた。日本リーグ時代の芝グランドは雨が降ると使い物にならなかった。これを改善するため、Jリーグ規約に「芝は常緑芝」と入れた。これに従って、三ツ沢球技場では、1994年に水はけを含めた全面的な芝の張替えを行った。8月初旬からグランドを使用開始したが、芝が根付かなかったため、芝生が跳ね上がる状況となり、使用不能となった。急遽、福岡ドームのパレット式天然芝を購入し敷き詰めて根付かせるという工事を行い、応急措置とし間に合わせた。他競技場の使用などは不可能な状況下で、芝の確保ができ、広島アジア大会で1ケ月の工期が確保できたことなので、困難を乗り切った。

1996年3月、開幕後3年経過し、スポンサーの更新契約などもうまく運び、一段落したところで、退職を決意した。退職後に、数々のことに気づくこととなった。本当のパートナーは、メディア、スポンサーをはじめ、現場で苦楽をともにした人々の存在であり、その後の仕事でも信頼がある中で協力関係が継続している。失敗から学び、立ち向かう姿勢は大切で、逃げないスタンスが先々の信頼につながる。外からみて初めて自分の姿を知ることができた。

プロとは何かを改めて考えるようになり、プロとは「基準の置き方」であるという結論に達した。プロ選手は、ファン、メディア、スポンサーが持つ基準をクリアすることが必要である。70年代~80年代のプロスポーツ、例えば、ゴルフのマスターズ・トーナメント、アメリカン・フットボールのニューヨーク・ジャイアンツは、シーズンチケットと放映権料でスポーツ事業を成立させていた。当時の写真で、広告看板がないことに改めて驚く。ファンとメディアという2大要素が、プロ化の基本である。これにスポンサーをどう加えるかを考える。

Jリーグは25年になるが、2006年のドイツ・ワールドカップで期待されながら惨敗したことで、停滞期に入ってしまった。今年からDAZNが参入したことで、50~60億だった放映権料が200億に増加。チームへの分配金が大きく増えるので、海外選手をとることができ、状況が変わる可能性がでてきた。

 <文責: 48回生 関 佳史>