第70回湘友会セミナー報告「大仏殿は無かった~次の関東地震を予測しその対策を考える~」

10月6日(土)、地震・火山並びに極地研究でご活躍されている神沼克伊さん(31回生、気象部卒業生の会(おてんきかい)会長、総合研究大学院大学・国立極地研究所名誉教授)をお迎えして、ご講演いただいた。タイトルは
「大仏殿はなかった ~次の関東地震を予測し対策を考える~」。

【講演の概要】

1. M9シンドローム
東日本大震災発生後の日本国内の地震や火山に対しての『官』の諸反応はいずれも現実味が乏しく、住民にただ不安を与えているだけと指摘したい。揶揄も含めて『M9シンドローム』と呼ぶこととした。

2. 大仏殿は無かった
地震研究に携わるようになって、広く一般に知られている「鎌倉大仏は大きな仏殿に覆われていた。明応7年(1498年)の津波により流され以来露座になった」という説に疑問を持ち、湘南同期の内海恒雄さん(歴史研究家、元湘南高校教諭)にその話をしたところ、「1486年大仏殿は露座だった」という文献を探し出してくれた。大仏殿は明応年間には既に存在せず、津波では流されていない事が明らかになったことを大いに啓蒙したい。

3. 明応4(1495)年と明応7(1498)年の地震
室町時代の年代記「鎌倉大日記」には明応4年鎌倉が大津波に襲われた記述はあるが、史上最大の津波被害をもたらしたと云われる明応7年の東海地震の記述はない。明応4年の地震は明応7年の地震の誤記との説もあるが、これが関東地震であった。また、明応7年の東海地震は「鎌倉大日記」にはその記載がないことから、鎌倉の津波被害はなかったと推定される。このことは今後の伊豆半島から西の太平洋沿岸域で起こる巨大地震(東海地震、南海トラフ沿いの地震)で大津波が発生しても、相模湾奥には被害をもたらす津波が襲来する可能性は極めて低いことを示唆しており、湘南地方の住民にとっては朗報。

4. 4回は追跡できる関東地震
①仁治2(1241)年 ②明応4(1495)年 ③元禄(1703年) ④大正(1923年)
の4回、関東地震の記録がある。(①以前の鎌倉は東国の田舎で記録がないのでは?)

5. 次の関東地震はいつか
上記から考えると、次の関東地震は22世紀半ばと推定される。但し、2050年頃から南関東でM6~7クラスの地震がぽつりぽつりと発生する。首都圏直下型地震も発生する可能性が高い。

6. 南関東の地震
首都圏地下、南関東の地下は地球上でも最も特異な形をしており、地震活動の活発な地域の宿命がある。そんな地域でも神奈川県で震度5が記録されたのは東日本大震災が80年ぶり、震度6は1923年の関東大震災以来一度も記録されていない。

7. 地震の備えは抗震力
日本列島で大震災(震度6以上)に遭遇する割合は一生に1回あるかないかの珍しい事である。そんな地震への対応として「抗震力」を提唱する。
神奈川県では内陸型の地震も心配されているが、現在の地震学では内陸の地震のもぐりこみを予測することは不可能である。従って、地震への備えは常に必要である。
それを「抗震力」としてまとめた。
*「抗震力」とは
①シミュレーション(「今地震が起こったらどうすべきか」を考える機会を持っている)
②壊れても潰れない家 ③居間や寝室の安全確保 ④家屋の地盤
⑤その他の地震環境(不安定なものはない。家に火災の危険はない。自宅周辺や通勤・通学路の危険個所は熟知。避難場所なども知っている。)
⑥津波(海浜にいるときすぐに高台に避難。海岸近くに居住の場合、どのような地震が起これば、津波襲来の可能性を理解している。)
⑦地震の知識(地震の仕組みを理解している等。地震は同じ場所で繰り返し起こることを理解している。)

「自然現象である地震を防ぐことはできないが、それによって発生する震災は人間の努力で軽減できる」と力強い言葉で締めくくられた。

歴史的な検証を含めお話いただき、いたずらに地震に対し不安感を抱く必要はないが、「備えあれば憂いなし」の言葉を痛感させられたご講演でした。誠にありがとうございました。