第73回湘友会セミナー報告「人生いつもありがとう~これからもがんばろう~」

「吉川精一君の講演を聴いて」

1月19日(土)、湘友会セミナーで元NHKアナウンサーであった34回生の吉川精一君の講演を聴いた。
テーマは「人生いつもありがとう~これからもがんばろう~」である。

「NHKのど自慢司会の吉川です。今週は神奈川県立湘南高校からの放送です。これまでの時間は31秒です。」というユニークな話し方から始まり、前半は湘南高校同級生の近藤君と神谷君の思い出話などで、ここまで32分…秒ですと、実際のアナウンサーはこのようにきっちりと時間管理をしながら話しているのかとたいへん面白かった。

後半は、彼がNHKに入局してから経験し、思ったことをもとにした人生観の話になった。NHKのアナウンサーと言えども、根本はわれわれ一般の企業に就職した者と変わらず、 尾道、福山、青森、…などの地方局を転々と異動し、憧れ(?)の東京勤務になったのはようやく40歳の時。その後、「NHKのど自慢」などメジャーな番組の司会を6年間、275回務め、アナウンサーとして芸能部門の本流を歩んできたように思えるが、本人としてはアナウンサーとして完全燃焼出来なかったと言う。

よくはわからないが、人事の都合で地方勤務が長いとアナウンサーとして必要な人材であっても本流に乗っていないと思うのだろうか、その辺はわれわれ普通のサラリーマンとあまり違わないなと思いながら話を聴いていた。

彼は在学中から歌が上手だったと記憶している。彼の言によれば歌謡曲の歌手になることが少年時代からの夢だったそうである。彼が子供の頃から昭和30年代初め頃までは藤山一郎、春日八郎、三橋美智也など高い声の歌が人々の心を打っていたこと、彼の声は高い方なので時流に乗った歌謡曲の歌手になれる可能性は十分にあったはずなのだが、その頃から低音の歌が好まれるようになってきたので、高音が持ち味の彼は歌手になることを諦めたのだそうだ。しかし夢を捨て去ったわけではなく、NHKを退局した後、持ち前の話術を生かして司会業をやり、かつ演歌歌手として持ち歌を14曲持つまでになっている。

この姿を一般的には第二の人生などといわれるが、自分は絶対にそういう表現を拒否する、これは第二の人生というようなものではなく、人生は生まれてからこの世を去るまで一つであって、いわば一つの物語がいくつかの章に分かれているようなものであり、今はその第何章かにいるのだという考えは面白かった。

定年で会社を退職した後、これから何をすればよいのか分からず、無為に日を送っていると嘆く人も多いが、夢を持たなかった人生だからそこで物語が閉じてしまうのだと思った ところである。

彼曰く、人生には3つの通りがあると言う。
思い通り
思い不通り
思いがけない通り
順風満帆、何をしてもオールOKで思い通りをずっと歩くなどという人生は少なく、2番目の通りを歩かねばならないことも多い、ここを歯を食いしばって笑顔で歩くことが大事で、そうすると思いがけないことに出合うものである。いま持っている歌はあまり売れていない、しかし何かのきっかけで話題に上ると、ひょっとして今年の紅白に声がかかるかもしれない、思いがけない通りに出るかもしれないと彼は言う。これはなかなか含蓄のある話で、現役、あるいはこれから世に出て行く若い人々にも聴いてもらってよい話だと思った。

曲りなりにも彼は現役の歌手であり、知る限り数万人もいる湘南高校卒業生の中でただ一人の演歌歌手だそうである。講演の最後に1曲でも披露してもらいたかったが、都合で叶わなかったことが心残りであった。

大槻 操 (34回生)