第103回湘友会セミナー報告「船の歴史・船の安全」

■第103回湘友会セミナーが開催されました。

  • 日時: 2024年3月23日(土) 14時~16時
  • 場所: 湘南高校歴史館スタジオ
  • テーマ: 船の歴史・船の安全
  • 講師: 庄司 邦昭氏 (全41回生) 東京海洋大学名誉教授、元運輸安全委員会委員

はじめにサッカー部を含む高校時代の思い出、東京海洋大学の湘南同窓生の話題、ドイツ留学時代にまつわる思い出などなつかしい話題にふれられた後、本日のテーマ「船の歴史・船の安全」を講演いただきました。


■セミナーの講演概要

1. 船の歴史
(1) 有史前後
船の原型は「浮き」。革袋や丸太など水に浮くものに人間がつかまって川や湖を移動。
水上の移動手段だが、乗っている人が水につかってしまうのでまだ「船」とは呼べない。
 丸木舟: 複数の丸太の上に木を張って、人が上に乗って水に触れずに移動できる。

現在発見されている中で、描かれた最古の船としてはノルウェーのアルタで発見された線刻画 (紀元前4000年頃、現在の小型漁船とほぼ同じ大きさ)、マルタのタルシーン神殿の石柱に描かれた線刻画 (紀元前3000年~2500年)、スウェーデンのタヌムで発見された線刻画 (紀元前1000年~500年、人・動物・船・そり・武器・車輪・太陽など4万種類以上のモチーフ) などがある。

現存する最古の船としてはエジプトのカイロ(郊外のギザ)で保存されている「太陽の船」(紀元前2550年頃、レバノン杉を使用) がある。それ以前にエジプトとレバノン (フェニキア) 間に海上交易が可能な船 (レバノン杉の運搬など) が存在したことがわかる。

(2) 古代
地中海を中心に船舶交通がみられ、海上輸送する船舶も多くみられる。最初は陸沿いに、やがて陸の見えない場所を航海するようになった。初期の頃に地中海で活躍したのは、ギリシア、ローマ、そしてフェニキアの船です。初めて出現した軍艦は、ギリシアの三段櫂船です。それまでの兵士を運ぶ手段から船が武器を持ち、相手の船を沈める行為を行うようになった。

(3) 近世
船の歴史で、どの時代からが近世かというのは意見の分かれるところです。ヨーロッパ世界で見ると、地中海から大西洋へ出ていった時代が一つの分岐点かと思われます。陸から離れて航海するために堅牢な船、風上方向にも進める船、更に航海を助ける機器の発達が必要です。

最初にアメリカ大陸に渡ったのはバイキングと言われている。ノルウェーの博物館に展示されているバイキング船 (紀元後900年頃) の外板は板の長辺を水平にして重ねて張る鎧張り、甲板はなく、舵は船尾の右舷に取り付けられている。マストを立てて帆走もできる。
その後、歴史を大きく動かしたのはコロンブスによるアメリカ大陸への到達です。1492年に長さ18m程度の三隻の船で大西洋を横断。周到な航海計画、船体や航海計器の発達など様々な素地があって達成されたものです。「サンタマリア」他三隻の船はいずれも上甲板、上部構造物として上甲板上に船楼を持ち、舵は船尾中央に備えられ、マストは3本で前2本には主として推進力として用いる四角い形の横帆、後ろの1本には船の操縦に用いる三角形の縦帆が備えられている。帆船としての完成型と言える。航海計器は北を示す磁石が用いられ、陸地のような目標のない大洋においても、一定の緯度に沿って東から西に向かう航海が可能になった。このように船舶や航海計器の発達がコロンブスの航海を生んだとも言える。

(4) 近代
「サンタマリア」によって、大洋を航海する船が完成。その後の進化は産業革命の頃に見られる。木の船から鉄の船へ、風力から機械力への変化です。鉄は塊としては沈んでしまうが、内部に空間を作り、全体として水と同じ重さになるよう調整すれば、水に浮くことが可能となった。その結果、丈夫な鉄を使用したより大型の船が作れるようになった。

蒸気船が初めて航行したのはフランスのリヨン付近のソーヌ川で、外車蒸気船「ピロスカーフ」(長さ45m)が約15分間航行。1807年には乗客を乗せた蒸気船「クラーモント」がニューヨークのハドソン川を航行。その後、蒸気船は大西洋横断に挑戦します。1819年に蒸気船「サバンナ」がはじめて大西洋を横断。この時の航海の大部分は風力によるものでした。1838年には「シリウス」と「グレートウエスタン」が相次いでエンジンの力で大西洋を横断。これ以降、蒸気船による定期運航が可能となった。

(5) 現代
旅客船も移動手段から航海も楽しむクルーズのための船になっている。貨物船も油送船、ばら積み貨物船、自動車運搬船、LNG船など積み荷による分類がなされるようになった。
船の構造は外部の海水を遮断するための外板と外板を補強するフレーム、ビームなどの部材で構成されている。上甲板と船底に縦方向の補強材を入れて強度を高めている。

2. 船の安全
(1)「タイタニック」事故
1912年4月、豪華客船「タイタニック」はニューファンドランド沖で氷山に衝突し、翌日沈没した。「タイタニック」は前年5月にベルファーストで進水。同地で艤装工事が行われ、その後試運転を行いながらサウザンプトンに入港。旅客などを乗せニューヨークに向け出港した。

「タイタニック」は氷山に衝突し海水が船内に入って沈むが、船体に穴が開いたわけではなく、外板のリベットで接合している部分に隙間が生じて海水が侵入してしまった。船はバルクヘッドと呼ばれる壁が横断面につくられ、1区画に海水が入っても前後に移動しない構造となっている。「タイタニック」事故では、6か所の接合部が線状に損傷し、前方の5区画に海水が入り、順次隔壁の上部を越えて後方の区画にも海水が入ってしまった。

事故後の乗客への意見聴取では救命ボートに移乗できたものの、救助後に低体温症で死亡した乗客が多くいたこと、飲酒して約2時間冷たい海に入って助かったものがいたことなどが判明。また最近の調査で、近くにいて救助に向かわなかった「カリフォルニア」が事故当時想定されていたより更に近くにいたことが判明。

(2) 運輸安全委員会
「タイタニック」の事故後、このような事故は一国だけの問題ではなく世界的に検討すべき事項という認識で一致。1914年にロンドンで国際会議が開催され、「海上における人命の安全のための国際条約」(SOLAS条約)が採択。しかし、第一次世界大戦の影響で発効されず、1929年に再度ロンドンの国際会議で採択され、1935年に発効。我が国では条約の発効にあわせて、1933年に船舶安全法を制定。

船舶の安全基準はSOLAS条約で一応の統一を見たが、海運の国際性からその後も継続的議論が必要との観点から、第二次世界大戦後の1948年にジュネーブで開催の国際連合海事会議において、政府間海事協議機関(IMCO⇒1982年国際海事機関(IMO)に名称変更)の設立とその活動に関するIMCO条約を採択。国際連合の下部機関として常設の海事専門機関がロンドンに設立。さらに2008年5月にIMOにおいて、事故調査コードをSOLAS条約に盛り込む決議が採択。改正規定が2011年1月に発効し、SOLAS条約に「海上事故及び海上インシデント調査についての要件」という強制規定として追加。

事故調査コードでは船舶事故の原因究明と懲戒手続きとが分離されるため、我が国でもこれに対応して2008年10月に海難審判庁の事故調査及び原因究明部門と既存の航空・鉄道事故調査委員会を統合し、運輸安全委員会(国土交通省の外局、JTSB)を設立。運輸安全委員会の設立により、調査対象事故の範囲拡大(船舶事故が追加)、権限の強化(原因関係者への勧告制度の新設など)、被害者等への情報提供(事故等調査に関する情報の適時・適切な方法による提供)を実施。懲戒手続きは引続き海難審判庁が担当。

事故が発生すると、まず調査官が直ちに現場にかけつけて事故調査実施。もし事故が発生した船があれば対象船舶の調査、乗船者や目撃者などがいた場合には聞き取り調査を実施。その結果や実験調査などを加えて事故報告書を作成。
2012年には「タイタニック」事故から100年を迎え、この事故を契機にSOLAS条約が生まれ、IMOができ、さらにIMOの決議によって運輸安全委員会が設立したことを思うと、100年前の事故を繰り返さないよう、一層の安全性の向上と再発防止に努める必要があると感じる。

船舶事故の発生件数については、運輸安全委員会の年間の統計値として2009年からその推移をみることができる。設立後6年間で漁船の事故は2/3に減少、貨物船の事故は半減した。しかしそれ以外の種別の船舶はほぼ横ばい状態です。さらに2018年の統計値をみると、旅客船、貨物船、タンカー、漁船、遊漁船瀬渡船などいずれも減少傾向となっている。この結果は運輸安全委員会の設置によるものだけとは言い切れないと思うが、少なからず寄与しているのではないだろうか。

西田 修 (47回生)