第26回湘友会セミナー報告

2015年2月28日(土) 13:30~15:30 湘南高校歴史館において、57回生の大島 武さんと63回生の大島 新さんを講師に迎え、湘友会セミナー「映画監督大島渚と二人の息子」が開催されました。

大島 武さんは東京工芸大学教授で、ビジネス実務論、パフォーマンス研究を専攻しています。一方、大島 新さんは、映像制作会社ネツゲンの代表で、ドキュメンタリー作品の制作を行っています。

今回のセミナーは2部構成で、第1部では、大学教授という父・大島渚とはまったく別の道を歩む兄の武さんが「映画監督大島渚と、その時代」、ジャンルは違うものの同じ映像の世界で生きる弟の新さんが、「テレビドキュメンタリーの作り方」について語りました。早春の穏やかな午後、会場の後ろまで入れたイス席がすべて埋まるほどの盛況ぶりで、参加者115名は、約2時間にわたりお二人の話を楽しみました。

第1部 「映画監督大島渚と、その時代」 大島 武

「みなさん、こんにちは」
武さんのさわやかなあいさつに始まった第1部。まずは、大島渚監督作品全24作、デビュー作の「愛と希望の街」から松田龍平主演の「御法度」までのダイジェスト映像「大島渚のすべて」を鑑賞しました。

その後に大島渚監督の足跡を様々なエピソードを交えながら、話されました。
大きな家庭環境の変化があった幼年時代から少年期、終戦を迎えた中学時代、京都大学法学部を選んだ理由、学生運動や学生演劇との関わり、就職にことごとく失敗したものの、2,000人の中から選ばれて松竹大船撮影所に入った話、松竹の徒弟制度に反発して独立した話、大きな話題となった「愛のコリーダ」「戦場のメリークリスマス」にまつわる話など、ユーモアと父への尊敬と愛情たっぷりに語られた武さん。ちなみに、この日、身に着けていたネクタイはお父上の形見の品だそう。

途中で語られた湘南高校と大島渚の話は、会場を大いにわかせ喜ばせてくれました。兄弟あわせて6回の体育祭を毎回見に来ていて(わざわざフランスから戻ってきたこともあった・・・)たくさんの写真を残していることや、新さんが学年で作った「俺たちの湘南」のロゴ入りTシャツを愛用していたことなど、大島監督の子煩悩な良き父親ぶりが伝わってきました。
テレビを一段低く見る映画人が多い中で、「テレビは出るもの 映画は作るもの」「仕事を断って、次、来なくなったらどうするの」と、仕事に対していつも厳しい考え方を持っていたことや病気で倒れた後のことなど、その生き方の話に最後まで引きこまれました。

「深海に生きる魚族のように 自らが燃えなければ何処にも光はない」
終わりには、大島監督が好んで色紙などに書かれた明石海人の言葉と、その思いについて話され、第1部は終了しました。

第2部 「テレビドキュメンタリーの作り方」 大島 新

「お兄ちゃん、話うまいなあ」と兄をたてつつ、「私は怒りっぽいところとお酒の好きなところが、父に似ているかな」と場をなごませた新さん。その後、映像制作について、プロだからこそわかる話が語られました。

フジテレビに入社したときに携わったムツゴロウ王国の番組の話から、父・大島渚は息子たちには安定を望んでいたのにも関わらず、フジテレビを退社し独立した理由、そして映像制作に大切な企画、取材、編集、ポストプロダクション(VTR編集、テロップ・音楽入れ、ナレーション録音他)の話など、いずれも興味の尽きない内容でした。
企画と予算のせめぎ合い、やらせ事件が起こる原因、作り手の意図、演出の伝え方など、その仕事に誇りと意欲を持つ新さんの心意気が伝わってくる講演内容でした。

講演者お二人への質問は、武さん、新さんの共著である「君たちはなぜ、怒らないのか 父・大島渚と50の言葉」(日本経済新聞出版社)の出版記念でもあるこのセミナーならではの内容のものが多くありました。
特に「お父さん(大島監督)が、この本を読まれたら何とおっしゃると思いますか?」という質問には、会場全体に温かで優しい空気が流れました。「本を出したことは喜ぶと思います。でも、文章はまだまだだなあというと思います」(武さん)、「この本の中で一番評判が良かったのが、終章の父の作文『タケノコごはん』でした。俺が一番文章うまいだろうというと思います」(新さん)、この答えにもたくさんの愛がこもっていました。

参加者大満足のセミナーとなりました。大島 武さん、新さんありがとうございました。
※また今回は、セミナーの後に清明会館をお借りして交流会も行いました。

報告/岩成真澄(57回生)