第66回 湘友会セミナー報告 「スポーツ取材の現場から」

第66回湘友会セミナー「スポーツ取材の現場から: 堀川貴弘氏」報告

■はじめに
2018年6月30日、朝日新聞社東京スポーツ部記者の堀川貴弘さんをお迎えして、湘友会セミナーが開催されました。堀川さんは58回生、高校時代は陸上競技部に所属(長距離)して主将を務めたほか、3年次の体育祭では当時の白組(11組)の競技パートで活躍されました。

高校卒業後も「スポーツに関わりたい」という気持ちが強く、早稲田大学卒業後には朝日新聞社に入社、以来スポーツ部の記者として活躍されています(朝日新聞を購読されている方は、スポーツ欄の記名記事でそのお名前をご覧になった方も少なくないのではないでしょうか)。

さて、会場には3年次のクラスメートや58回生の仲間など多数の聴衆が集まりました。冒頭、堀川さんの「これまで転勤も多く、土日も仕事で、クラス会や同期会には不義理の連続でして…」という釈明(?)から始まるなど、和やかな雰囲気でセミナーは進みました。

■大阪での新人記者時代: 高校野球と阪神淡路大震災「がんばろう神戸」
堀川さんが朝日新聞運動部の記者となったのは1989(平成元)年。その取材歴は、まさに平成のスポーツ史と重なります。

1993年に大阪の運動部に配属となった堀川さんは、まず高校野球の担当に。当時は高校野球人気が低迷する中、それでも松山商vs熊本工での「奇跡のバックホーム」など、記憶に残っているシーンがたくさんあるとのこと。1995年1月には阪神淡路大震災を経験。直後に迫っていた選抜甲子園大会の開催が危ぶまれましたが、無事に開催。近くを走る阪神高速道路は倒壊してしまったのに甲子園球場にはほとんど被害がなかったことが、奇跡的に感じられたそうです。その後「がんばろう神戸」のスローガンの下、当時イチローが所属していたオリックスが初のリーグ制覇を果たしたことも、大阪時代の忘れられない思い出に。

■アメリカでの取材生活: 松井秀喜選手「自分にコントロールできることだけに集中する」
1997年には東京へ転勤、ヤクルトの「野村再生工場」などを取材した後、2002年4月からはアメリカ・ニューヨーク支局勤務となります。当時は9.11テロ直後で全米に不穏な空気が流れており、空港のセキュリティチェックも大変厳しかったとのこと。翌年には巨人軍の松井秀喜選手がフリーエージェントとなり、ニューヨーク・ヤンキースと契約。それから松井選手を取材しながら全米を旅する生活が始まります。

松井選手は、堀川さんからすると9歳も年下なのに、どちらが年上か分からないほど「非常に落ち着いた男」とのこと。取材で出会った中でも最も印象に残っている選手の一人だそうです。よく口にしていたのは、「自分のコントロールできないことはどうしようもない。コントロールできることだけに集中する。」という言葉。試合に向けての準備を怠りなく行い、自分の力を試合で発揮する。メディアの批判や観客のブーイングなどは一向に気にしないし、逆にそれで発憤することもない。言われてみればその通りですが、凡人にはなかなか実行できないことですね…。

■念願の陸上競技取材・レースディレクター: 野口みずき選手、瀬古利彦さんなど
その後日本へと戻り、2004年からは巨人軍の担当となって「球界再編」問題や堀内監督の解任などを取材した後、いよいよ希望していた陸上競技の担当となります。

2006年のカタールアジア大会、2007年の大阪世界選手権陸上、2008年の北京五輪と取材。北京では、マラソンでアテネ五輪からの2連覇を目指していた野口みずき選手が直前の大けがによりスタートラインにすら立てないという、まさかの事態に遭遇します。直前の海外合宿まで取材していた堀川さんは「スタートラインにさえ立てていたら、きっと再び金メダルを取っていただろう」と断言。今でも悔しい思い出で、スポーツ選手が4年に1度の大会にピークを合わせることの難しさを痛感した出来事だったとのこと。

高校時代に陸上競技をしていた堀川さんにとって、マラソンの取材はその後もライフワーク的な仕事になっています。シドニー五輪で金メダルの高橋尚子選手、さらには、小さい頃からのあこがれだった瀬古利彦さんらとも取材を通じて親しく交流があるそうで、それぞれ選手時代にカリスマ的な指導者に恵まれたことが共通しており、「マラソンにはマンツーマン指導が必要」と言われていることなども紹介されました。

さらに、2011年から3年間は福岡国際マラソンや横浜国際女子マラソンの「レースディレクター」の仕事も経験し、大会に有力選手を招聘するための活動や、コース周辺を所轄する警察署との調整など、大会を成功させるために尽力。その中では、湘南高校OBの横浜市市民局長の方にも大変お世話になったというエピソードも。

■日本のスポーツ界について: 相次ぐ不祥事と今後の課題
最後には、ちょうど話題となっていたアメリカンフットボールの事件や相撲界の問題など、スポーツ界における不祥事についても話が及びました。

堀川さんは、今でも日本のスポーツ界には「勝利至上主義」「上意下達」といった悪しき習慣があるのではないか、一般社会とかけ離れてしまってはいないか、と指摘。日本人の「礼儀正しさ」など良いところはそのまま残しつつ、「逆境の中で自分を見失わずに行動できるか」という価値・倫理観を身に付けるといったスポーツの持つ本質を改めて見直すことや、スポーツ文化に対するリスペクトがさらに進むことが望まれる、と締めくくられました。

■お話を聞いて
高校時代からの「スポーツのそばにいたい」という思いを、そのまま仕事として実現してきた堀川さん。様々なエピソードを、実に楽しそうに話すその姿が印象的でした。また、今後のスポーツジャーナリズムには様々な課題があると指摘しつつ、「スポーツ文化が発展するためにも、自分のようなベテラン記者が現場で記事を書き続けることに意味があるのではないか」という言葉にも、同世代として大いに励まされる思いがしました。

堀川さん、本当にお忙しい中、楽しく有意義なお話をありがとうございました。

山﨑 健一 (58回生)