第72回 湘友会セミナー報告 「硫黄島の歴史と今 〜島猫楽団訪島記〜」

日時: 2018年12月8日(土) 13時30分~16時
場所: 湘南高校歴史館スタジオ
講師: 丸山 真人 氏 (全57回生)
標題: 硫黄島の歴史と今 ~島猫 楽団 訪島記~

全57回生の丸山真人さんは防衛大学校卒業後、航空自衛隊にて主に戦闘機パイロットとして活躍し、現在は埼玉県の入間基地で「中部航空方面隊司令部支援飛行隊のリーダー“司令”」として、また「航空自衛隊最年長の現役パイロット」として勤務しています。2016年8月~2018年2月の間、硫黄島基地隊に司令 (自称「南の島の大王」) として赴任した経験から、硫黄島について語っていただきました。

【みなさんは硫黄島を知っていますか?】
問題1 「硫黄島」は何と読むでしょう。ア,イどちらと思いますか?
ア) いおうじま
イ) いおうとう

正解は イ) いおうとう です。
東京都小笠原諸島の南端にあります。活火山の山頂にあたり、硫黄を含むガス噴出、地面は地熱で熱くなっています。小笠原諸島で唯一飛行場が有ります (建設可能な平地が有るということ)。しかし現在も隆起活動中で、滑走路には歪みが生じ、海岸はほぼ崖のため大規模な港はできません。川や池はなく、生活用水は雨水に依存。現在は自衛隊員と建設業者など、男性のみ(!) 430名ほどと、“島猫”と呼ばれる猫多数が居住。

問題2 硫黄島に一般の人が住んでいたことはあるのでしょうか。
ア) 明治時代以前から一般の人が住んでいた
イ) 明治時代から太平洋戦争までは一般の人が住んでいた
ウ) 太平洋戦争の舞台となるまで人が住んだことはなかった

1889 (M22)年 父島の住民十余名が、鮫(さめ)(りょう)と硫黄採取を目的として入植し、硫黄島の開拓を始めました。のちに正式に日本領土に編入、「硫黄(いおう)(とう)」と命名され、島民は硫黄採掘・ サトウキビ等栽培 の農業・漁業などの産業に従事していました。尋常小学校と神社が置かれ、1943 (S18)年の人口は約1,000人、当時の島民の証言によれば、「きちんと稼げて、不便ではあるが豊かな生活」 であったようです。

1944 (S19)年、アメリカ軍の空襲が始まり、島民に対して内地へ疎開する命令が出て、軍に徴用された者 (約230名) を除く全島民が離島することとなりました。正解はイ)

かくして、壮絶な硫黄島の戦いが1945 (S20)年3月まで繰り広げられました。日本軍の戦死者20,129人、米軍の戦死傷者28,686人。すなわち 米軍の損害が日本軍を上回った唯一の戦いといわれています。

戦争の痕跡(大砲や戦車の残骸、地下壕跡、トーチカ跡等)が現在も島内各所に数多く残され、未だ1万柱におよぶ御遺骨が地中に眠っています。

1952 (S27)年、硫黄島はアメリカの施政権下となり、1968 (S43)年、日本に返還されました。ただし、火山活動の危険性および行政サービス提供の困難さから、旧島民を含む一般の方々の帰島は見送られ、自衛隊および関係業者のみが入島し、管理・使用しています。

問題3 日米双方に大きな犠牲を出した硫黄島の戦いでしたが、慰霊はどのように行われているのでしょうか。
ア) 日本のみ、硫黄島で慰霊を行っている (米軍は本国アーリントン国立墓地で慰霊する)
イ) 日本の慰霊行事のない時に、米軍も、特別に硫黄島に来島して慰霊行事を行っている
ウ) 日本と米軍が共同で慰霊行事を行っている

1985 (S60)年 硫黄島の米軍上陸40年目に、「名誉の再会」と呼ばれる行事を実施しました。硫黄島戦に参加した日米両軍の兵士が参加し、石碑 (片面に和文・もう一方に英文が刻まれた) をはさんで対面した両参加者は碑に向かって歩みより、握手・抱擁を交わしました。現在、毎年行われており、このような敵味方双方の慰霊・顕彰が実施されている場所は世界的にもここだけといわれています。正解は ウ)

問題4 自衛隊は硫黄島で何をしているのでしょうか。ア~エどれだと思いますか?
ア) 飛行訓練など、自衛隊にかかわる仕事だけ行っている
イ) アに加えて、島の自然環境維持・整備の仕事も行っている
ウ) イに加えて、遺骨収集や慰霊行事も行っている
エ) ウに加えて、小笠原諸島の各島からの要請にも応じている

亜熱帯気候では植物の成長が旺盛で、 慰霊団・研修団等のための通路、戦跡の出入り口を確保するための草刈りは日常的に必要です。ご遺骨の収容作業は、未知の壕を地下数メートル掘り起こし、探索するという困難なもので、自衛官が作業に参加しています。節目節目に慰霊の行事を自衛隊として、執り行っています。 小笠原諸島唯一の空の足として救急患者は、救難ヘリ→自衛隊輸送機と乗り換えて搬送しています。 そう、正解はエ)

【“島猫楽団” 訪島】

そんな硫黄島基地隊の自衛官のために、丸山司令は、同じ57回生で元タカラジェンヌにして女優・演出家の登坂倫子さんによる“ヴォイスワーク”の受講を計画しました。

“ヴォイスワーク”とは、「心・技・体」の理解とトレーニングを通して自己を自由に解き放ち、その人の「真のヴォイス」を取り戻していくワーク。

登坂さんが講師を務めた第13回湘友会セミナーでヴォイスワークに触れた丸山さんは、身体の使い方や声の出し方が「自衛官にも通用する」「普及できたら面白いなぁ」と、登坂さんを部外講師として硫黄島に招くことを思いつきます。しかし、登坂さんは多忙の身。来てくれるか、どうか……。

そこで、丸山さんは彼女を口説くため、お願いメールとともに島猫たちの愛くるしい写真を送り続けました。大の猫好きの登坂さんゆえ、その作戦は大成功! 島猫会いたさに登坂さんの硫黄島行きが決定。ヴォイスワークだけでなく、野外で歌と演奏のステージを行うことも決まり、平成29年度 湘友会総会で登坂さんとともにライブパフォーマンスを披露した57回生メンバーからギターの由井誠一さん、同じく57回生でダンサーの山下(旧姓 重永) 尚美さんと整体師の山崎克弘さんも加わり、ヴォイスワークと音楽のチーム“島猫楽団”として訪島することとなったのです。

今回のセミナーには、講師の丸山さんだけでなく、後半には一行4名も登場。
自衛隊基地から自衛隊輸送機に搭乗して入島した彼らは、「窓のない輸送機に乗って不安のまま出発しました」「まずは島内を慰霊して巡りました。多くのことを感じる貴重な経験でした」「自衛官の皆さん、ヴォイスワークに実に積極的に取り組んですばらしかった」、口々にそんな感想を語ってくれました。そして、「丸山くんが隊員の皆さんからとても慕われていて、いいリーダーなんだなと思いました」とも。

目的のワークも、楽団公演も、自衛隊の皆さんとの交流も大成功だったことが、打上げでの飲酒量のすごさとともに、笑いを交えて報告されました。隊員の皆さんは、丸山司令をはじめ、多彩なメンバーに会い、「湘南高校ってすごいですね」「いろんなキャラの人がいるんですね」「湘南って何でもできるんですね」と喜んでくれたそうです。

セミナーの締めくくりは、「“島猫楽団” 凱旋公演」。

聴かせてくれた曲は、かつて硫黄島基地隊の自衛官が作詞作曲し、今も歌い継がれている名曲「硫黄の島」。島の歴史と自然、鎮魂の思いが綴られ、硫黄島で勤務する自衛官の方たちにとって心の歌となっている1曲です。YouTube (「硫黄の島」 月下美人)

セミナーに参加された皆さんにも一緒に歌ってもらおうと、まずは、登坂さんの指導によって、サビの部分を練習。その後、このときのために、丸山さんの熱望によって57回生でプロの漫画家・イラストレーターの岸 大武郎さんが特別に描いてくれた16枚ものイラスト映像をバックに、参加者全員で「硫黄の島」を歌いあげました。 YouTube (「硫黄の島」 島猫劇団)

知っているようで知らないことの多い硫黄島について、学び、理解を深めることのできた今回のセミナー。鎮魂と平和を祈りつつ、閉会となりました。

報告: 小野﨑 (旧姓 大谷) 良子 (全57回生)
上月 里恵子 (全57回生)