湘友会セミナー(第9回)報告

9月14日(土)、湘南高校歴史館において、34回生太田尚樹さんを講師に迎えて開催されました。太田さんは、東京水産大学(現東京海洋大学)を卒業後、カリフォルニア州立サンフランシスコ大学、カリフォルニア大学バークレー校大学院、スペイン・マドリッド大学に留学。社会学Diploma修得。専門は比較文明論、スペイン文明史。東海大学名誉教授、作家。近著「駐日米国大使ジョセフ・グルーの昭和史」、「支倉常長遣欧使節 もうひとつの遺産」、「岩崎弥太郎伝」ほか多数。

セミナーは、第一部「慶長遣欧使節の侍たち」、第二部「昭和史前期の主役満州」の二部構成で、講師自身が撮影したスライド約100枚も交えて行われました。
.
第一部「400年前、海を渡った侍たちの雄途と世界記憶遺産への道程」

伊達政宗の時代に東北地方を襲った大地震、津波の被害にあった領内の経済立て直しのためスペインの植民地メキシコとの交易、さらには仙台藩とスペインとの国交樹立により、幕府の干渉排除、地方の独立性主張を意図して、世界最強国家のスペイン国王、権威の象徴ローマ法王へ支倉常長を外交使節として送りだした背景と、その後7年に及ぶ栄光と挫折の旅路を、講師自身による実地踏査の結果を交えて熱っぽく語ってくれました。

また、使節一行のうちの9人が帰国することなくスペインで生涯を終りながら、その後「ハポン」姓を名乗る子孫によって現代までその血が脈々と受け継がれていることも語ってくれました。
.
第二部「昭和史前期の主役満州」

海外での豊富な調査活動の結果に裏付けされた、欧米からの視点が欠落したまま、日本で語られる昭和史は間違っている、という講師独特の論点に立ち、満州を話の中心に据えて、昭和史前期を語ってくれました。

満州は中国か?否、満州族の国だった。さらに日米による満州共同経営が実現していれば歴史は変わったという。日・米・蒋介石の国民党が同盟を結んでいれば、後の朝鮮戦争、ベトナム戦争もなく、太平洋戦争でもっとも損をしたのはアメリカだったと太田さん。

「満州」は日本の戦後に活かされた。一大都市国家建設と産業の実績による自信。満鉄「あじあ号」の、世界一を目指した発想と技術力の東海道新幹線への応用など、産業立国日本は、満州を実験場にして築かれた。満州での体験は無駄ではなかったと、太田さんは語っています。