第23回湘友会セミナー報告

11月29日(土)、湘南高校歴史館にて、聖光学院中学・高等学校国語科教諭で、筑摩書房の教科書編集や文学研究にも携わっておられる野中潤さん(55回生)を講師に迎え、「教科書と文学」をテーマに湘友会セミナーが開催されました。野中先生が、約50名の「生徒」を前に行った授業とは…。
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■イントロダクション
授業に先立ち、聖光学院で生物の教諭をされている多城淳さん(野中先生と同期の55回生)から、中高一貫の男子校で、有数の進学校として知られる同校について、決して受験勉強一筋という訳ではなく、「あきれるほど行事が多い」そして「教員室は個性的な先生方がうごめく、まるで『干潟』のようなところ」など、我々が学んでいた頃の湘南の雰囲気にも相通じるような校風などが紹介されました。

■体験授業
野中先生による1時間目の授業。久保喬作の童話「もしもしおかあさん」を読み聞かせた後、その内容についての小テストを実施。3名~5名のグループによる回答作成では、熱心に意見交換をするなど、会場は懐かしい教室の雰囲気に包まれました。

■国語科教育の現在
2時間目の前半では、野中先生が聖光学院で実践している「注釈のボクシング」や「群読」などの多様な授業の模様を紹介。例えば、グループ討議の過程で、正解が「少数意見」として排除されてしまう「正解が消滅する授業」は、多数決が陥るリスクや、少数意見に耳を傾けることの必要性を体得できる、とのこと。このように、教師の一方的な講義でなく、生徒達が相互の交流を通じて共に高めあい、理解を深めていけるよう様々な工夫をこらした参加型学習について、野中先生は「自身の教育者としての思い、生徒の望む内容、学校の求めるもの、そして世の中のニーズのそれぞれに折り合いをつけつつ実践していくことが、大変ではありますが大切です。」と語りました。

■教科書と文学
2時間目の後半、体験授業でテキストにした「もしもしおかあさん」が、小学校の教科書では、挿絵や文章の一部が改変されている、との種明かしがあり、このように文学作品が教材となる過程で、様々な制約により変容してしまう、「教科書と文学」の問題が取り上げられました。そして、太宰治著「富嶽百景」の中で「差別的な表現や性に関するものは相応しくない」との理由で削除された部分や、絲山秋子著「ベル・エポック」の中で、著作者の許諾を得て作品中の特定の商品名(車の名前)を改変したケースなどが実例として紹介されました。

■定番教材とは…
続いて、夏目漱石著「こころ」や森鷗外著「舞姫」など、昭和30年代頃から特定の文学作品だけが多くの教科書に採録され続けているという「定番教材」の存在を紹介。野中先生は、これらの文学作品が、「サバイバーズ・ギルト(生き残りの罪障感)」、つ まり、「後ろめたさ」や「喪失感」を想起させること、そして、戦争での悲惨な体験と、敗戦後に復員して教壇に立った教師や教科書編集者が抱いた「サバイバーズ・ギルト」こそが、これらの文学作品を教材として採録させたのでは、と推察します。さらに、高度成長期やバブル期にも、「幸福で満ち足りた日常は、誰かの犠牲の上に成り立っているのでは」という「ぼんやりとした後ろめたさ」を引きずっていることも「定番教材」の採録が続いている一因では、と解説しました。

■国語科教育のこれから
そのうえで、教科書編集者でもある野中先生は、こうした「定番教材」のために、新しい文学作品が教科書に採録されづらい状況や、世の中にあふれる多種多様なメディアという現実との乖離についてジレンマを感じつつも、「定番教材」を避けずに、むしろ世代を超えて読み継がれてきたという強みを活かして、生徒達が文学作品に触れるための有効なガイドとして活用していくこと、例えば、全国の高校生が、インターネットで「こころ」をテーマに議論する、そんな可能性もあるのでは、と語り、授業を締めくくりました。

参加した「生徒」の皆さんからは「今回、改めて夏目漱石の『こころ』を読み返して、高校時代とは違った新鮮な印象を受けた。」「野中先生に教わっていたら、もっと国語が好きになっていたかも…。」との感想も寄せられるなど、久々に「学ぶ楽しさ」に触れた貴重な2時間となりました。野中先生、多城先生、本当に有難うございました。

参考: 今回の授業で紹介された作品
「街場の教育論」内田樹著、 「もしもしおかあさん」久保喬[作]・いもとようこ[絵]、 「わかったつもり-読解力がつかない本当の原因-」西林克彦著、 「ベル・エポック(短編集「ニート」収録)」絲山秋子著、 「富嶽百景」太宰治著、 「盆土産(「冬の雁」収録)」三浦哲郎著、 「羅生門」芥川龍之介著、 「山月記」中島敦著、 「こころ」夏目漱石著、 「舞姫」森鷗外著、 「うどんが食べたい」町田康[作]

報告者/末廣好男(55回生)