よく考えるということ:「真の」Sustainabilityについて (第28回湘友会セミナーに参加して)

最近、気候変動の影響とも思われる気象現象がしばしば起こるようになり、漠然とした居心地の悪さを覚えることが多くなってきているのではないでしょうか。私自身、長い 間製造業に身を置いているのですが、人類による膨大な二酸化炭素排出の一部に加担しているという自覚もあり、どのようにすれば破綻を避けつつ発展を続けることができるのだろうか、そうした道は本当にあるのだろうかといった疑問をうすうすながら常に持っていました。そのような中で、今回の講演が「真の」持続可能性を目指してというテーマと聞き、参加しました。

決して気軽ではなく、また話題も拡散しがちな話題ですが、外岡先生の柔らかい語り口で分かりやすく幅広い話をいただき、随分と刺激になりました。理解した (と勝手に思っている) 範囲で書くと、産業革命以来のごくわずかな時間で、人類はエネルギーでも食料でも自然資源を不可逆に取り出し過ぎてしまい、もう既に戻り難い地点まで来てしまっている可能性が高い。巷間「持続可能性」という言葉が乱用されているが、単に世代を超えて居心地の良い社会を継続、維持するといった矮小な視点ではなく、地球環境そのものの危険な現状を認識し、永続性を可能にする我々の生き方の見直しをこそ考えるべきである、といったことが主題でした。

要所ごとに論旨をサポートする定量的な分析や考察を入れていただいていたのもありがたかったです。異常とも言える温室効果ガス排出量の増大の放置を、数理生態学での天敵のいない種の個体数の推移になぞらえて検討した事例が示されていましたが、明らかに不連続な破綻が近づいていることを感じます。

翻って、例えば自動車産業について見てみると、既に地球上に11億台以上の四輪自動車が走っています。実に膨大な数ですが、統計上それでも6人に1台の割合でしか普及しておらず、世界中の大半の人はまだ自動車のモビリティの恩恵に浴していないわけでもあります。そのため今後も世界的に生産台数の拡大はまず確実に続いて行きます。電気自動車やハイブリッドなど新しい技術で1台ごとの二酸化炭素排出量は相当抑制されてきてはいますが、果たして十分なのかどうかは分かりません。
先生によると、人類社会全体としてすぐにも下山を始めないと大変なことになり、何らかの下山戦略を至急立てる必要があります。とはいえ、正しい論を立てても実際にどういうアプローチで社会に実装するのかは大変難しい課題でしょう。市場経済に変わる基本原理が見つかっていない中で、政治や企業のリーダシップをどう発揮し得るのかまだ分かりませんが、少なくともそうした思考をするときの視点や、どういうスコープでものを考えるべきかという点で、先生の話は示唆に富んでいたのではないでしょうか。

以上のように、アタマの中を改めて組み直す刺激になるようなお話をうかがいました。ここで興味深いのは、外岡先生が理系のバックグラウンドを持ちながら、現在は経済学の教鞭をとられているということです。結局のところ理系、文系両方のアプローチを理解できないと、本当のところモノを考えて行くのは難しいという好例を示されているとも感じました。欧米ではdouble majorはざらなのですが、どうも日本では早い時期に理系だ文系だと強制的に定義するようです。湘南高校はそうした日本の教育文化の中でも、やや特異的に自由なポジションを維持することができているのではないでしょうか。そうした校風がはるか背景にあって、外岡先生の真の持続可能性の環境論が生まれているというのは言い過ぎでしょうか。

木下明生(49回生)